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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.027   2017.12.31

■風間 真也

 

2017年の漢字は「北」ですが、我が家はさしずめ「喜多」即ち、喜びの多い年でした。
長女夫婦は妻の世話をするために、すぐ隣のマンションに住んでいます。そしてこの4月、長女は女の子を出産ました。妊娠から臨月まで、そして生まれてからも長女は毎日、通って妻の世話をしてくれています。それどころかほとんど毎晩、妻の隣に布団を敷いて孫と共に寝ています。夜泣きに起こされることもありますが、その苦労もまた楽しみの一つです。生後9か月になりますがすくすくと健康に育っており、一挙手一投足、笑顔や泣き顔、ハイハイする姿に、日々、笑いと喜びに溢れています。  次女はこの秋、婚約、入籍をしました。相手の方は勿論ご両親からも、近居して母親の世話をすることについて快諾して頂くことができました。娘たちが結婚してもなお、近所に住むだけでなく、孫と一緒に寝起きできる幸せはなんという神様の配慮でしょうか。確かに家内の具合が悪く なり、下肢が不自由になったことを嘆き悲しみました。しかし、その深い悲しみと苦難・困難があるからこそ家族の心が一体となり、親子三代が和気あいあいとした毎日を暮らすことができるとも言えます。感謝や喜びの方が勝っているのです。
 ローマ8:28はだれもが知っている聖句です。私もこの聖句に感激し、励まされて日々を送る一人です。最初にこの聖句を知った時すべてのことを益としてくださる」と解釈していました。人生はオセロゲームのようだ、というたとえ話にうなずいていました。真っ黒な盤面でも神が働けば一瞬にして真っ白な盤面に変わる、つまり、家内の病気がパッと治って、スタスタと歩き始めて幸せが戻る。まるでベテスダの池のほとりに38年もいた人がイエスに出会って歩けるようになった、あの奇跡のようになると思っていたのです。
しかし、ローマ8:28をよく読むと「すべてのことを働かせて益として」とあります。プラスのことは勿論、マイナスのことをも働かせて益とする、と書いてあるのです。それに気づいた時、これこそ聖書の聖書たる所以だと感激してしまいました。今の我が家の状況はまさにこれです。足が不自由だというマイナスのことを働かせて、神は我が家に親子三代が共に暮らすという、和気あいあいとした喜びに満ちた毎日を与えて下さっているのです。

仕事にストレスを感じてサラリーマン人生に戸惑っていた時に救ってくれたのは「あなたの手にあるそれは何か・・・杖です。」(出4:2)という聖句でした。自分の賜物に気付いた瞬間です。手にある技術を生かして私は今もその道を歩んでいます。その後、迷った一匹の羊をイエス様が探しているときに残りの99匹はどうしているのでしょうという問いかけに対して答を得たのは、十二指腸摘出という大手術を受けて入院している時でした。私の病床(=迷った羊)にイエス様が来ている時に教会の兄弟姉妹(=99匹の羊)は私のために祈ってくれていたのです。そんな仲間に感謝しました。今もなお、妻の癒しのために皆さんが祈ってくれていることに感謝しています。苦難艱難という暗黒の谷間にいるときにこそ聖句の真の意味がわかります。これからも神の愛と力を信じて信仰生活を歩んでいきたいと思います。(風間 真也)

 

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ 8:28)

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