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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.034   2018.02.18

■近藤 恭子

 

私が教会に行ってみようと思ったのは入院した30代後半の時、同室の50台後半のAさんに出会ったからです。Aさんは常に痛みがあり、ご主人に身体をさすってもらいながら「痛い、なんでこんなに痛いの。さっき注射してもらったのに!」と、苦痛を訴えておられました。そんな状態なのに病室から出るときは、いつも笑顔で何かしら声掛けして出て行かれます。
私は簡単な手術だったし、主人は仕事があるので一人で入院したのですが、そのことがAさんには気になったのか、数日後私をベッドのそばに呼んで自分自身の事を話しながら、「入院する時なぜ一人で来たの?」とか日頃の私の様子をいろいろ聞かれました。私は自分の家族と、私の両親との6人暮らしで、母が寝たきりで24時間介護で疲れと不安があることを話しました。するとAさんは自分が教会に行っていることや牧師先生に何でも話を聞いてもらっていることを話され、私に教会に行くことを勧められました。そしてその日、伝道師の先生がお見舞いに来られたので紹介してくださり「近藤さんが行ったら宜しくお願い致します。」と頼んで下さいました。
退院してからAさんのお見舞いに行ったら、その方は亡くなっておられました。私とお話ししていた時はもうすでに末期の大腸がんだったそうです。そんな苦しいなかでも病室の方にいつも明るく声掛けしたり、私が救われるようにと教会を紹介して下さったり、どうしてあんなに明るく、落ち着いて、人に優しいのかと驚くと同時に涙が止まりませんでした。
その後Aさんを思い出し、紹介してもらった教会に行き始めました。4年後頼りにしていた父が母をおいて肺がんで亡くなりました。その時、今まで優しくて好きだった兄に耳を疑うような発言をされ、一度に父も兄も亡くしたような気持ちで悲しくてやりきれなかったとき「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」という御言葉が聞こえてきたような気がし、イエス様につながりなさい、ということだと思い、洗礼を受けさせて頂きました。
それから10数年たち、人間関係でずっと辛い思いをしていたので神様に「この八尾から離れたいです!」と何度も祈りました。その時、主人が東京転勤になり私も主人の世話で東京に滞在することが多く、東京で教会を探そうと思いました。浅草の家の近くにも教会はありましたが、神様に導かれ東京ホープチャペルに行かせて頂きました。西田先生がメッセージの中で「愛する皆さん」と呼ばれるのがとても慰めになり、メッセージを聞いていると力と平安が与えられて来ました。そして引き続き今も大阪ホープチャペルでお世話になっています。
振り返ってみると、神様はいつも私の側にいて苦しい時々に、慰め、励まし、導いて下さいました。私はこのような素晴らしい神様との出会いがあって幸いです。家族で私に続き、次男、母は病床で洗礼を受けさせて頂きました。感謝します!

(近藤 恭子)

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