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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.054   2018.07.08

■小野 源一

 

大学生の頃、神田神保町を歩いていた時、キリスト教三大異端の一つである統一教会の信者に声をかけられました。はじめはそれほど興味のなかったのですが、いつしか間違った教えにのめり込んでいき、長期の合宿にまで参加するようになりました。
合宿中、印象に残った一人の青年がいました。T君は浅黒く日焼けした顔に大きな目、ジャンパーのポケットに両手を突っ込んだ、ふてくされている雰囲気の人でした。周りの者が教祖の教えを信じ込んでいる中で、「こんな教えは信じられない」と馬鹿にするような反抗的な態度は、周囲とはなじめない状況を生み出していました。そんなT君に対し、私は心の中で「もっと素直に信じればいいのに」と思いました。
合宿から帰ってきた私は、近所のクリスチャンの方と話す機会が与えられましたが、その時、統一教会の教えの間違いを指摘され、この異端から脱出することができました。
私はこの方の住んでいる木造アパートに招かれ、二人で聖書のページをめくりながら学びました。イザヤ書に出てくる「人が顔をそむけるほど。さげすまれ尊ばれなかった悲しみの人」でやがて十字架の上でこの世を去るが、3日目によみがえったこのお方こそ私の神であり、救い主であることを知り、受け入れ信じました。
部屋の本棚の参考書を読みながら、今までの聖書知識がいかに浅薄で卑小なものであったかを知りました。何より、「私たちの知りえない大きなことをされる」というスケールの大きさに驚かされました。
統一教会から解放され、平穏な日々に戻ったある日、大学の近くの書店の前で見覚えのある横顔の人を見かけました。何やら道端に立って道行く人に声をかけているようでした。彼はあの合宿で出会ったT君でした。私は懐かしくなり彼にかけよって「ここで何やってるんだ?俺はあの宗教から脱出することができた」というようなことを伝えました。彼は私に気がつき、一瞥しながら無表情な顔で冷たい言葉を放りました。二人の間に壁のようなものがあって、会話をどう進めていいかわかりませんでした。「なぜ私のような熱心に信じていた者が脱出できたのだろう?なぜ、彼のように反抗的な態度をとっていた者が熱心に目の前で統一教の伝道をしているのだろう?」この時、私が脱出できたのは私の願いや努力ではなく、憐れんでくださった神によるものだということを痛切に感じました。
それから数十年後、西田先生の著作を通じ、この教会に来ることができました。先生には祈ってもらい、時に励まされました。また、語られる聖書知識に心動かされました。世の中の流れは速いもので、あの時から30年以上経ってしまいました。礼拝の帰り道、浅草寺にお参りに行く人の流れにぶつかりそうになり、肩をよけながら歩く時があります。これからも、キリストを信じる者の側に立って「この世の流れ」に逆らうように歩いていきたいと思っております。

(小野 源一)

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