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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.061   2018.08.26

■我妻 幸子

 

私の両親は、まだ救われていません。昨年10月、父が咽頭がんで入院し、治療のために使用した医療麻薬の量が多すぎてしまったため、一時は生死の境をさまよいました。お見舞いのたびに、「教会でも皆さんがお父さんのために祈ってるよ」と伝え続けていました。よく、「家族への伝道が一番難しい」と言いますが、
癒しの祈りは一緒に祈ってくれるものの、それ以上の伝道というのは、できませんでした。
がんを患い大きな手術を乗り越えられた小坂忠先生をスペシャルゲストとしてお招きした昨年のクリスマスコンサートは、父にとって大きな励みになると思っておりましたが、まだ入院していたため、来てもらえませんでした。コンサートでの小坂先生のメッセージ聞いて、「両親にも聞かせたい!」と強く思っていました。
そんな中、ハッピーセレブレーションのゲストで小坂忠先生がいらしてくださることを知り、両親を誘ってみました。誘った時は、「考えておく」という返事が帰って来ました。その後、父と電話で誘ったところ、「礼拝には出ないよ」と言われたので、コンサートが3時から始まることを伝え、来てくれるという確約を得ることができました。ハッピーセレブレーション前日、確認のために連絡したところ、母から「お父さん、行かないと思うよ」と言われましたが、「お義母さんも来ると思うから終わったら、みんなで一緒にごはん食べに行こう」と伝えたら、「聞いてみる」という返事が返ってきました。
そして、ハッピーセレブレーションの当日、両親が来てくれることを期待し、ご奉仕の準備をしようとしていたところ、「お父さんたち、来てくれたよ」と主人が呼びに来てくれました。小坂先生のライブでは、所々に散りばめられた救いの証、神様の愛についてのメッセージに時折涙を拭いっている両親を後ろから眺めながら、主がこの二人の魂に触れ、救いに導いてくださるよう祈りました。娘の私が伝えても伝わらないことが、両親とも年が近く、父と同じくがんを患い入院経験を持つ小坂先生が伝えるメッセージの方が、両親にとっては共感できる部分が多かったのではないかと感じました。
クリスマスコンサートの直後は、小坂先生の歌とメッセージを両親に聞かせることができなかったという後悔があり、私自身が両親への伝道に限界を感じていました。でも、それは「両親が救われて欲しい!」という思いが強すぎ、私が救いに導かなければと思い込んでいたから、なかなか導けないことに焦りを感じていたからだと思います。いろいろな伝道の仕方はありますが、小坂先生のメッセージには、私が両親に伝えたかった「死んだらどこに行くのか」「誰にでもやり直すチャンスがある」「神様が私たちの罪を贖うためにイエス様を遣わせてくださった」ことなどが全て含まれていました。
今では、両親の救いに関しては、魂の救いは私がすることではなく神様がされることであり、私は単に仲介をすればいいんだということに気付かされました。これからも両親が救われることを信じ、全て神様に委ねて祈り続けたいと思います。

(我妻 幸子)

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