閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.436 2025.11.09

■黙想エッセイ

 

信仰を妨げる代表的な障害物は「恐れ」 です。 祈りは生きておられる主を見つめるか、状況を見つめて恐れるかの戦いです。マルコの福音書5章に出てくる会堂司ヤイロは、病気の娘のために主を自分の家にお連れする途中で障害物に出会いました。途中で長血をわずらっている女が現れたために足止めされ、その間に娘が死んだと知らされます。一見すると、その女のために主が遅れ、娘が死んでしまったと考えることもできます。しかし、ヤイロの本当の障害物は、その女ではなく、娘の死に対する「恐れ」でした。
では、その女はどんな人だったのでしょうか。その女は信仰の人でした。
ヤイロは主をお連れすれば娘の病気が癒やされると信じましたが、その女は主の衣の裾にさえ触れれば自分の病気は癒やされると信じました。おそらくヤイロは、その女を見ながら主がどのような方かを考えたはずです。図らずも生じた待つ時を通して信仰を学んだのです。そのとき、主はヤイロに 「恐れないで、ただ信じていなさい」 と言われました (マコ 5:36)。 娘が死んだという知らせに心が折れそうになったヤイロにそう語られたのです。ヤイロの心の中で絶望と信仰との戦いが起こりました。主を信じないであきらめれば、娘は死んだままです。しかし、主を信じて娘が横たわっている部屋までお連れすれば、娘は生きます。
主を信じれば生き、状況を恐れれば死ぬのです。祈りとは、恐れと戦って信仰を失わないことです。恐れに負ければ祈ることができず、信じれば祈ることができます。

閉じる