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NO.806 2024.01.28

「天の御国のパン種かそれとも」

 

そのとき、イエスは彼らに命じられた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。」(マルコの福音書8章15節)

 

二つの翼国際カンファランスに参加して改めて確認したこと、それは「からし種のように」「パン種のように」働きを続けていくということでした。私たちがキリスト者として成長していくには時間がかかります。信仰深く、神様に忠実な出来上がった人が神様の働きを続けていくのではないのです。一人一人が養育される過程で成長し、整えられて行くのです。それが弟子育成のプロセスと言うことです。まだよちよち歩きの信仰の初心者が聖書の御言葉の乳を飲みながら、成長していくのです。やがてみ言葉に従い、キリストに従って生きるクリスチャンライフが身に着いていくのです。さらにはキリストの弟子となって主の証し人となって用いられて行くようになるのです。それが私たちの養育弟子育成のプロセスなのです。
2月から養育クラスと弟子学校が始まりますが、自分が成長していく姿を想像しながらチャレンジしていただきたいと思います。それは「からし種を蒔く」ような働きで、これがどれほどのものとなるかと思えるかもしれません。しかし、千里の道も一歩からとあるように、わずかな一歩がやがて大きな差となって表れてきます。からし種は種の中で一番小さくても、成長するとどんな野菜よりも大きくなり空の鳥が巣をつくるほどになるからです。
またそれは「パン種」のような働きです。わずかなパン種ですが、パン全体を大きく膨らませる働きとなるのです。見た目ではわずかでも、そのパワーは私たちの想像を超えて言います。私たちの信仰の働きをからし種のように、パン種のように継続していこうではありませんか。私たちは人のうわべを見ますが、神様は私たちの心の内を見られます。外面に惑わされず、その人の内なる成長に対する心を大切にしたいと思います。実現に至らしてくださるのは神様です。
ここでいうからし種、パン種は積極的な意味で用いられてきましたが、イエスさまはパン種に関して「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。」と言われました。ここでいうパン種とはパリサイ人やヘロデの教えのことを指しています。その教えは神の御国の教えとは真逆の教えでした。パリサイ人たちは律法に忠実であるために、様々な規定を設けてそれを守ることを要求しました。行いによる義です。それは返って人を縛ったのです。またヘロデのパン種とは「世俗的な生き方」の象徴でした。お金や権力、この世の快楽を求めることを躊躇しない教えです。そのために様々な策略に走り妥協することもいとわなかったのです。
イエスさまは弟子たちにこの二つの教え、律法主義と世俗主義の教えにくれぐれも気をつけるように語られています。それはパン種ですから、小さくて入っているか入っていないかわからないようなものです。しかし発酵するとパン全体が膨らむように、私たち人生全体に影響を及ぼすようになるのです。
神様の御国の福音に生きるということはどちらにも組しない生き方です。律法的になって自分の義を主張し人を裁くことのないようにしましょう。福音の喜びにまず自分が満たされることです。また世俗的な生き方の方が価値があると思わせる言動に気をつけましょう。それは自己中心的生き方となって行きます。神の国の働きよりも、この世の価値の方が大切なのです。知らず知らずのうちにそれらは私たちの心を侵食します。
日々私たちは天の御国の価値観に生きる者となりましょう。聖書の御言葉を聞いてそれを具体的に実践していきましょう。あなたのからし種、パン種の働きは大きな実を結ぶようになるのです。

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