「毎日何を信じて生きているのか」
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。 もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じて いのちを保つ者です。」 (ヘブル人への手紙10:37-39)
読者の方からお電話を頂きました。流通関係の仕事に携わっておられる方ですが、以前のように仕事もなく、生活がかなり圧迫されておられるようでした。
「悪いことは続くもので、今度は母が痴呆症になり、その介護もしなければならず、かなり大変です。自分の人生を嘆いていましたが、でも先生の本を読み、また知り合いのクリスチャンの方からの励ましを頂いて、神様はこの試練を通して私を神様に信頼して生きる道へと導いておられるように思えるようになりました。
自分が上手くいっているとき私はかなり高慢だったですね。自分で何でもできるように考えていました。でも,人間は本当に弱いですね。こんな状態になると自分の弱さが良くわかります。こうならないと私のような人間は,神様を見上げる事ができない事を神様は知っておられたのかもしれません。
最近祈るようになり、聖書に触れるようになって、人生に無駄なものは一つもないと言う事が少しずつ解かってきました。確かに現状は変ってはいませんが、神様が導いてくださると信じて毎日生きています。」
素晴らしい人生の受け止め方ではないでしょうか。神様が働いておられることを強く感じさせられました。電話口でお祈りをして、教会で再開する事をお約束いたしました。
私たちも自分自身に置き換えて考えてみましょう。同様な試練の中で私たちははたしてどういう態度をとるでしょうか。現状を嘆き、神様につぶやき、不平や不満を内にためてしまうか。もしくは,そのような中にも神の導きを信じ,全能の神の御手を信じて、神様にすべてをゆだねて、最善を尽くして生きることが出来るか。私たちにはどちらの傾向が強いでしょうか。ある人は両方を行ったり来たりしているという人もいるかもしれません。
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」 (ヘブル人への手紙10:37-39)
私たちは毎日何を信じて生きているか、それが問題です。何を意識して生きているかといってもいいかもしれません。信じている中身を点検してみましょう。信じていると言いつつ、心の中に描いている事は悪くなる事であれば、それは悪くなることを無意識の内に信じている事になります。意識的に神の御言葉を宣言してその思いを変えようではありませんか。祈りの中で悪い意識の流れを断ち切りましょう。その都度私たちの意識を神様に向けるのです。主はすべてを把握しておられ私たちの人生を導いておられるのです。
もし試練が続くとするならば、そこに何か神様のご計画があるのかもしれません。試練を通して神が私たちを砕かれ、神が用いられやすいように整えておられると信じましょう。恐れ退かないで信じて命を保つものとなろうではありませんか。 (プレイバック週報2003年11月30日「牧師館より」 西田育生師)
