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2024.05.12

「母親のように」

 

私たちは、自分の子どもたちを養い育てる母親のように、あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。(Ⅰテサロニケ2:7b~8)

 

今日は母の日です。日頃のお母様の労苦に心より感謝をいたしましょう。遠くにおられるなら、是非電話をかけ、お母様の声を聞いてお祈りをして差し上げましょう。もうすでに天に送られたお母様もおられるでしょう。その方々は神様にお母様を与えてくださったことを感謝しましょう。母の存在がなければ、私たちの存在はなかったのです。ですからあなたにとって母親の存在はかけがえのない存在なのです。
さて、パウロは教会の兄弟姉妹に対して「自分の子供たちを養い育てる母親のように」してきたことを告白しています。母親のように子供を養い育てるとはどのようにして育てることでしょうか。パウロは続けて「あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。」と言っています。
第一に母親は子どもをいとおしく思い育てるのです。存在すべてがかけがえのない存在、それが母親の子に対する思いです。親だから、育てる役割があるからと言って育てるのではないのです。自然な愛情の発露、それがこのいとおしくさに現れているのです。子供と一体化している姿がそこにあります。
第二は「自分自身のいのちまで、喜んで与えたい」と思う思いです。この子の為なら自分のいのちを喜んで与えたいと思うのが母親の気持ちです。
私の母も昨年92歳でその生涯を終えました。私が病気をして苦しんでいるとき、そばで看病しながら、「代われるものなら代わってやりたい」と言ってくれた言葉を今も思い起こします。子どものためにはいのちを与えても惜しくない。それが母の愛情です。
パウロは母のような思いで教会の信徒を愛し、そのためにはいのちを与えても惜しくない、それほど兄弟姉妹のことを思っていたのです。教会は単なる共同体ではありません。神の家族です。お互いが母であり、父であり、兄弟であり、祖母であり、祖父であるのです。その家族がパウロのような心で仕え合ったとするならどれほどの神の御業が現わされることでしょうか。教会を単なる組織としてだけ見ると、それぞれの役割や働きに見合う奉仕をする人は大切にされますが、その働きをしない人は家族ではない。そのような視点で互いを見てしまうと、愛に生きていることにはならないのです。やがて、その共同体は衰退していくでしょう。
イエスさまは十字架に架かられる前、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:12-13)と言われました。互いに愛し合うこと。友のために命を捨てること。それが教会の本質の姿です。そしてそれを実践してくださったのがイエスキリストです。
母の日を迎えて、私たちは母の愛はどれほどのものか。また、神の愛はどれほどのものかを思いめぐらす者となろうではありませんか。教会のお母様の愛情に心より感謝しながら、私たちもキリストの愛の実践者とさせていただきましょう。

 

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