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現代に生きる新約

NO.043  2009.06.07

 西田育生師  創世記 26章34-27章46  「祝福を受け継ぐ者となる」

 

 私たちは祝福を得ようと様々な計画を立てますが、その計画通りにいかないことが多いものです。一方、「主のはかりごとだけが成る。」(箴言19:21)とあるように主は多くの祝福を私たちに与えようとしています。その祝福を受け継ぎ、次の世代に受け渡す者になるためにはどうすればよいでしょうか。
 先ず第一にわたしたちは祝福の計画のなかに入れられているということを知ることです。教会の礼拝に来れているということも主の導きにあってのことなのです。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ 29:11)とあるように、救われた、教会に導かれた、というのも神の計画の中にありますし、これから神を信じて生きていくということはどんなに素晴らしい事なのかを神は示して下さっています。
 人間的に考えればアブラハムの祝福をイサクへ、続いてその長男のエサウへと受け継がれるはずですが、神の計画は次男のヤコブへとつながっていきます。神がエサウを嫌っているということではなく、そもそも神の計画なのです。祝福にもルーツがあります。アブラハム、イサク、ヤコブそしてやがてダビデ、その子孫としてイエス・キリスト、そしてイエス・キリストを信じる私たちクリスチャンは同じ祝福の流れの中にあるのです。
 ですからヤコブも無理をして長子の権利をエサウから奪う必要はなかったのです。神の流れにまかせておけばよかったのに人間的な考えでなんとかしようとしてしまうところに問題が起こります。聖書を続いて見ていきますとイサク、リベカ、エサウ、ヤコブの4人とも、何とかして祝福を自らの手で引き寄せようとする姿がでてきます。
 第二に、人間は弱さを持っているということを知ることが大事です。エサウの弱さは長子の権利を軽んじたことです。しかも、異教の神に仕える妻を二人もめとったのです。ヤコブは兄のエサウだけでなく父のイサクもだまします。イサクはヤコブに長子の権利を認めたのにエサウにまた声をかけてしまいます。リベカは神の時を待てず夫イサクをだましてしまいます。神の時は必ず来ますからそれを信じましょう。
 この4人の根底にあったのは何でしょうか。それは自己中心といえましょう。そういう自分が祝福を受けるためにはどう変えられていけばいいでしょうか。
 一つは被害者意識を捨てることです。ヤコブは、なぜ兄だからといって長子の権利をもらえるのかとねたみ、エサウは長子の権利だけでなく祝福まで奪い取ったヤコブに殺意まで抱きます。現代の私たちのまわりの犯罪にも被害者意識があります。なぜ自分にだけ仕事がないんだ、なぜ自分だけこんな扱いを受けるんだという思いが、怒り、憎しみに変わり殺意に変わります。悪いのはいつも周りのものなので問題の解決にはなりません。責任は自分にあるんだと自覚し神の手にそれを委ね、主に祈るとき、「正しい言動、判断力を与えてください。間違っていれば許し、正しい道に導いてください」という悔い改めの心が必要です。
 次にあくまで神の約束を信じて祈り続けることです。信仰は神の聖霊の波をキャッチしてそれに乗ることです。その方法を教会にきて御言葉を聞き祈りをもって習得するのです。時には波にぶつかってはのみこまれて沈んでしまうこともあるでしょう。しかし波は一回だけではなく何度もやってきます。神の祝福の波は次から次へと来ます。問題という波がやってきてもそれに押しつぶされるのではなくうまく乗ることによって力を発揮できるのです。
私たちは自分の力でがんばりすぎていることはないでしょうか。神を信じて神の計画にゆだねて信仰による望みを持ちましょう。神による軌道修正におゆだねしていくものとなりましょう。

 

 今日の暗唱聖句

 

「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。」(箴言10:22)

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