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現代に生きる新約

NO.053  2009.08.16

 西田育生師  創世記 38章1-30  「神の憐れみに生きる

 

今までのヨセフ物語の中に、突然ユダの家の問題が挟まれています。神を見上げて生きていたはずの人が罪を犯すという箇所は、人の目からすると聖書に記されないほうが良いと思ってしまう所です。しかし、そこには神の御計画があるのです。ユダを通して神の計画を進めて下さる神の救いの歴史を私たちは心に留めなければいけません。
ユダはヤコブとレアの間の4番目の子供でした。その名前は「主を褒めたたえる」という意味です。その歴史をたどると、ユダはイスラエル国家ができてその繁栄を象徴するダビデ、ソロモンの家系となり、後にイスラエルの国が南北に分断されたときの南ユダとなります。ヨセフにはマナセとエフライムが生まれ、やがてエフライムは北イスラエルの呼び名となります。ヨセフの話は出エジプトへの備えであり、ユダの話は南ユダになることへの伏線なのです。その発端はユダが祝福の流れを無視してカナンの女性と結婚したことから始まっているのです。父のイサクは自分と同じ神を信じる家系から妻をめとったのにも関わらず、ユダは世の中に流されて結婚し、エル、オナン、シェラの3人の子供が生まれました。エルはタマルと結婚をしましたが、「しかしユダの長子エルは主を怒らせていたので、主は彼を殺した。」(創38:7)長子の子を生まないで寡婦になると、夫の弟と結婚をしてその家系を絶やさないようにするレビラート婚により、タマルはオナンと結婚をします。オナンは自分の子供にはならないので、形上結婚して夫婦の営みがあっても自分の精子をながしていました。オナンも神の祝福を無視し、背いてしまったので神様が怒り、オナンも死んでしまいました。ユダはシェラまで失うことを恐れ、タマルを騙して実家に帰してそのままにしてしまいました。しかし、それはタマルの問題ではなく、エルとオナンの罪にあったのです。タマルは遊女のふりをしてユダの子供を身ごもりましたが、その時ユダから印形(ユダの家紋が入った印)、ひもと杖をしるしとして受け取っていました。そうとは知らないユダは、やもめのタマルが身ごもったことを聞いて殺そうとしましたが、タマルはユダからあずかった品を見せました。それを見たユダは「あの女は私よりも正しい。私が彼女にわが子シェラを与えなかったことによるのだ。」(創38:26)エルもオナンもユダも罪を犯し、それによってタマルに罪を犯させてしまいました。
神はユダをイスラエルの王の先祖とされ、それだけではなくやがてイエス・キリストの家系になりました。「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ・・・」(マタイ1:3)その系図には男性の系図の中で5人の女性の名前が出てきます。その最初がタマルです。人の罪と汚れの流れの中にイエス・キリストがお生まれになったのです。それは、人の血の流れの中に新しい救いの血を流すために生まれたのです。罪で汚れた家系の中に神は介入され、キリストの血を十字架で流され、罪ある家系から祝福の家系へと変えられたのです。どんな家系に生まれたとしても、イエスを信じたあなたをきっかけにして、あなたの家系は祝福の家系へと変わるのです。救いとは人の血筋の良さや行いではなく神の憐れみによって与えられたのです。ですから私たちも神の憐れみと恵みに目を留めていきましょう。あなたの抱えている問題や悪習慣はありますか?そこに神の憐れみがどのように表されているでしょうか?私たちはどんな罪人であっても神の憐れみによって救われています。その憐れみによって支えられています。ですから、徹頭徹尾、神の憐れみの中に生きる者にお互いになっていきましょう。そして、主の祝福の流れを私たちから流すものになっていきましょう。あなたから信仰の流れが繋がっていくような歩みをしてきましょう。
分かち合いのために ①今課題となっていることはないでしょうか? ②神様の御心をどのように生きれば良いでしょうか? ③神の憐れみはあなたにどのようにあらわされていますか?

 

 今日の暗唱聖句

 

「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:16)

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