西田育生師 使徒の働き10章38-48節 「闇の力からの解放」
ペテロが神の導きによりカイザリアに住む百人隊長コルネリオと出会い、説教をした場面が描かれています。ある日の午後3時ころ、いつものようにコルネリオが祈っていると神のみ使いが来て「・・・シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています・・・」(使徒10:5)と告げたのでその通りにしました。一方ペテロは幻を見たあと「・・・三人の人があなたをたずねて来ています・・・彼らといっしょに行きなさい・・・」(同10:19,20)と御霊に言われたので二人が出会うことになったのです。ペテロの見た幻とは、ユダヤ人には普通は汚れているとされる動物をさして「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい・・・神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」(同13-15)という主の声でした。ユダヤ人のペテロにとってはローマ人であるコルネリオは異邦人でした。当時は異邦人には伝道しませんでしたのでペテロがコルネリオに会い、主の福音を語るなどあり得ないことだったのです。しかしこの幻を見てその先入観は取り払われました。異邦人に対して行ったペテロの説教から、ペテロが主の福音をどう理解していたかを探りましょう。
第一に、「イエス・キリストはすべての人の主」(同10:36)であるということです。ユダヤ人もローマ人もなく中国人も韓国人も日本人の主であり、あなたご自身の主であるということです。百人隊長のコルネリオにとってはローマ皇帝が主であり、その命令に従っていたでしょう。あなたはだれに従うでしょうか。私たちは余りにも多くのものを持ちすぎ、多くのものに左右されすぎています。従うお方はただお一人。「イエス・キリストは私の主です」と告白しイエスに従う者になりましょう。
第二に「聖霊と力を注がれ・・・悪魔に制せられているすべての者をいやす」(同10:38)お方ということです。悪魔は巧妙な手口でいろいろな角度から私たちを罪に陥れようとします。その悪霊から私たちを解放して下さるお方なのです。人を犯罪に駆り立てる動機のベスト3は、苦々しい恨み、自己憐憫、責任転嫁だそうです。だれでも少しは心当たりがあるのではないでしょうか。悪魔の策略に乗らないようにしましょう。悪魔の思うつぼにはまらないように気をつけたいものです。
そんな悪魔の手口に立ち向かうには神の武具を用いる必要があります。「私たちの戦いの武器は・・・要塞をも破るほどに力のあるもの」(Ⅱコリント 10:4)、すなわち「真理の帯・・・正義の胸当て・・・平和の福音の備えをはき・・・信仰の大盾を取り・・・救いのかぶとをかぶり・・・御霊の与える剣である、神のことば・・・どんなときにも御霊によって祈り・・・」(エペソ6:14-18)です。聖書を読んで真理と正義を学びましょう。歩いては福音を語りましょう。特に祈りはこれら6つの武具を生かすために重要なものですから、礼拝後に祈って終わる、兄弟姉妹で祈りあう、問題に目を向けずに祈ってみる、などしてみましょう。祈りつつ神の前に出ましょう。祈ることで神に心を向けましょう。
第三にイエスは「生きている者と死んだ者とのさばき主」(同10:42)であり、生と死を分かち、命の権威を持っておられるお方であるということです。ペテロはただ聞いたこととか、机上の空論で語っているのではありません。実際にイエスと話し、食事をし、生活を共にした体験から証ししているのです。
また「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(同10:43)とペテロは語ります。イエスを信じることでどんな罪をも赦されるのです。さまざまな悪しき思いを描くこともあるでしょう。主のみ名で宣言することこそが何にも増して大きな力を持っていることを信じましょう。
そのためには神のみ声に従順であることです。コルネリオはヨッパへ人をやりました。ローマ皇帝の命令ならいざ知らず、み使いの声に疑うことなく従ったのです。一方ペテロは使いの者と一緒にカイザリアに行きました。迷うことなく神のみ声に従いました。神の計画を信じたのです。
このお方こそがすべての人の主であり、あなたの主です。神のみことばを貯え、しっかりと握りしめましょう。他のことに惑わされずこのお方にこそ目を向けましょう。私たちの主は今も生きておられます。このお方と共にしっかりと歩んでいきましょう。
- 《分かち合いのために》
- 神の導きにどのように応答しておられますか。
- 今も生きて働かれる神の力を体験しませんか。
今日の暗唱聖句
「このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、
また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」(使徒10:38b)