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現代に生きる新約

NO.157  2011.08.14

西田育生牧師   出エジプト20章7節  「言葉に責任を持て」

 

モーセの十の戒めは、神の救いを体験したイスラエルの民の神への応答としての戒めです。ですから、ただの禁止命令だけでなく、神の民として生きるためのものです。ある注解書では「ならない」ではなく「はずがない」となっており、神を愛する者がこのようなことをするはずがないという風になっています。今日の箇所「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」ということを、イスラエルの人達は厳格に捉えて神の名を呼ぶことさえしませんでした。ですから、イエスの時代には呼び方も分からなくて、聖なる4文字を主(アドナイ)と呼んでいました。元々の呼び方はヤハウェではないかと聖書学者は言っています。イスラエルの人達はあまりに神の名が聖くて呼んではいけないと思っていました。しかし、聖書をみると「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレ33:3)「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」(使徒2:21) 私たちは主の名を呼ぶことが大切です。
では、十戒の「主の名をみだりに唱えてはならい」とはどいう意味でしょう?そのキーとなる「みだりに」とは「正当な理由もなく、むなしく、悪い理由のために神の名を呼ぶこと」です。この戒めは第一に、自分中心の信仰の在り方への戒めです。自分勝手に、自分の正当性を主張するために神の名を使うことです。神の名を使っての主張をされると反論しにくいです。ですから、牧師やクリスチャンは気を付けなければいけません。名は体を表すようにその人の影響があるものです。この世の中でも、またクリスチャンの間でも人の名を利用したり騙したりすることもあります。神以外に真実なお方はおられません。ですから私達も神に誠実にしなければいけません。
第二に、神様への誓いとして使われる場合です。「あなたがたは、わたしの名によって、偽って誓ってはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。」(レビ19:12)神への偽りの誓いをしないよう言っています。約束には責任が伴います。標題にあるよう私達は言葉に責任があることを覚えなければいけません。イエスは人の弱さを良くご存じで「さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。…だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。」(マタイ5:33-37)私たちがあまりに軽率に約束してしまいますが、責任が伴うことを忘れてはいけません。神の約束は決して変わることはありません。「わたしのところに、三歳の雌牛と…その日、主はアブラハムと契約を結んで仰せられた『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から。あの大川、ユーフラテス川まで。』」(創世記15:9-21)神はアブラハムに約束の地を与えると契約されました。契約の板の前に持ちこまれた二つに裂かれた雌牛、雌やぎ、雄羊、山鳩の向い合せにした間を煙の立つかまどと燃えているたいまつが通りました。それは、約束を破ればこの動物のようにされても良いと、神の命を懸けての一方的な約束なのです。神は徹頭徹尾約束を守られる方です。私たちはその神を信じるものです。私たちは神の御前でもっと真実に誠実に向き合っていきましょう。
そして、これらのことを注意して神の御名を恐れて使わないのでなはく、もっと積極的に神の御名を呼び求めましょう。神との愛の関係をさらに深めるためにも毎日、神を呼びましょう。問題がある時だけでなく、愛を土台とした呼びかけと応答をしていきましょう。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:7)「『ダビデの子よ。私をあわれんでください。』と叫び立てた。…『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです。』するとイエスは言われた。『さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』」(マルコ10:47-52)
私達も主の前に叫び求める者になりましょう。神は求める者に与えてくださいます。そして、叫び求める者を神は喜んでくださいます。神はあなたと人格の交わり、命の交わりを求めておられるのです。

 

≪分かち合いのために≫

  1. あなたと神様の関係は密接ですか?
  2. 毎日主の御名を呼び求めていますか?

 今日の暗唱聖句

 

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。(出エジプト記20:7)

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