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現代に生きる新約

NO.872 2025.05.04

「憐れみの勝利」         ヨハネの福音書8章1節-11節    井上 圭 伝道師

 

律法学者とパリサイ人がイエスの所に姦淫の罪を犯した女性を連れてきて、どうすべきか質問しました。これはこの女性だけでなくイエスも告発しようと企んでいたのです。しかし、イエスは女性を非難せず憐れみを示されました。その憐れみは女性だけではなく今を生きる全ての人に示されたものです。
仮庵祭の時にイエスはエルサレムの宮に上られ、神の言葉を教えられました。そして夜はオリーブ山で夜を明かされました。朝早く神殿に入られ大勢の人にイエスは腰を下ろして教えられました。そこに律法学者とパリサイ人が姦淫の女性を連れてきてイエスに言いました。先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。モーセの律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」(ヨハ8:5)それはイエスを告発する罠でした。イエスが石打ちをやめるように言えばモーセの律法に違反することになるしモーセの律法に従えば、神の憐れみを説いていた教えと矛盾すると言うことができました。更に、石打ちを勧めればローマ統治下でユダヤは処刑の権限を奪われていたのでローマの法も破ることになってしまい、どれを選んでも彼らの罠に落ちてしまいます。「しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。』」(ヨハ8:7)この世には人を貶めようとする人が存在します。近年ではSNSで一斉に袋叩きにする風潮があります。その特徴として、正したいという正義感、優越感や連帯感、相手を引きずり下ろす快感などがあります。私たちにも同様な性質があるのではないでしょうか。
そんな彼らに対してのイエスの対応ですが、イエスは「身をかがめて指で地面に何か書いておられた。」(v6)とあります。身をかがめるとは謙遜、へりくだりを示します。それはまた、この女性に対して恐れや不安に理解を示し憐れまれたのです。「主はあわれみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。」(詩103:8)一方、律法学者たちは問い続け非難し、自分の罪を顧みることがありません。この性質はサタンの性質です。その例として、ダビデは部下のウリヤの妻と姦淫の罪を犯し、妊娠させたのでその罪を誤魔化そうとウリヤを戦地で間接的に殺害させ殺人までしました。預言者ナタンはダビデを戒めるために、他人の子羊を奪って調理した男の話をしました。これはダビデを指すだけでなく律法学者やパリサイ人もそして今の私たちも同じです。
イエスは身を起こされて「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」(v7)と語られました。「…かれらはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き…」(ヨハ8:9)年長者は人生経験もあったので石を投げる資格が無いと去って行きました。私たちは絶えず自分自身を顧みる必要があります。イエスは続けて「…わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。…」(ヨハ8:11)イエスは裁きではなく憐れみを示されました。罪のないイエスだけが石を投げることができますが憐れみを示されたことによって彼女は平安を得ました。イエスは罪の赦しを宣言してくださいました。罪のないイエスが身をかがめ、へりくだられ、裁くことなく憐れみと赦しを示されました。そのことに堪えず感謝しましょう。
「天が地上はるかに高いように御恵は主を恐れる者の上に大きい。」(詩103:11)イエスは憐れみ深いお方です。姦淫の罪を犯した女性に「行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」(v11)現在を受け入れ彼女の未来のために言われました。イエスは裁きの代わりに憐れみを施してくださいました。それは憐れみが裁きに勝った瞬間でした。「あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。」(ヤコ2:13)私たちがされたように、憐れみを家庭や職場、学校すべてのところで現わしていきましょう。イエスの憐れみを体験したものはその憐れみを持って歩む者になります。
教会はイエスの憐れみを受けた者の共同体です。互いに憐れみを実践するために召されました。この東京ホープチャペルがイエスの憐れみを実践しあう共同体になっていくよう共に歩んでいきましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. 罪がないイエス様は沈黙し身をかがめられた(へりくだられた)のに対し、罪のある人々が訴え続けた姿を見て、人間とはどのような者でしょう?またイエス様から何を教えられますか?
  2. 主に憐れまれた者として、憐れみを人間関係の中でどのように実践していきますか?

 今日の暗唱聖句

 

「あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに 対して勝ち誇るのです。」     (ヤコブの手紙 2章13節)

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