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現代に生きる新約

NO.899 2025.11.02

「愛の共同体」    使徒の働き 2章41節-47節   井上圭 伝道師

 

私たちの暮らす社会にはいわゆるブランドが多くみられます。衣料品や装飾品、機械もの、電子電機等、品質やデザインの良さ等で名を馳せています。では、教会のブランドとはなにかを考えてゆきましょう。
教会のお手本と言えば初代教会でしょう。「…その日、三千人ほどが仲間に加えられた。彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。… 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(使徒2:41‐47)という姿です。終盤に「民全体から好意を持たれていた。」(v47)とありますのでこの教会は何かブランディング戦略を立てて活動していたのかとも思えてしまいます。そうではなく彼らが“愛の共同体”を形成していたからでしょう。「みな一つになって」(v44)「毎日心を一つにして」(v46)とあるのは、神の愛で互いに愛し合い「一つ」となっていたということです。そしてこの姿は神がこの世界を造られた創造の目的、即ち「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」(創1:26)にかなっていたのです。ここで「われわれの似姿」すなわち神の似姿とは、姿形というより神のご性質、つまり神のご愛のことでしょう。創造の六日目に人間を造った時に神は「見よ、それは非常に良かった。」(創1:31)とおっしゃいました。そこには愛しあう姿も含まれているのです。
前述の「一つになって」「一つにして」とあるのは一人ではできません。神はアダムの次にエバを造りました。そして二人は一体となって歩んだのです。三位一体の神ご自身が、互いに愛の交わり、愛の関係、愛の共同体の中で生きておられたようにです。ところが二人は善悪を知る木の実を食べてしまった結果、愛の共同体の関係が崩れてしまいました。人類の歴史を見ても、人間関係、親子関係、民族と民族、国と国、あらゆる共同体が壊れてしまいその共同体の中で傷つけ合い、言い争っています。元来「非常に良かった」はずの愛の共同体が崩壊へと向かったので、神はそれを回復なさろうとして御子イエス・キリストをこの地に遣わされ、十字架を通して回復の道を備えてくださいました。教会は、イエス・キリストによって贖われた者たちの共同体なのです。
教会は、未熟で不十分な人たち、不完全な人たち、罪人たちの集まりと言えるでしょう。でも神はそれらも全部織り込み済みで知っておられます。教会が愛の共同体として、一人ひとりが愛の人として成長してゆくのなら何と素晴らしいことでしょう。そのためには私たち一人ひとりがキリストの弟子となり、御言葉に生きる人となっていくことです。キリストの弟子とは一部の弟子訓練を受けた特別な人たちではありません。クリスチャンとは「キリストに従う人」「キリストの弟子」たちのことなのです。イエスは12弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34b)と命じました。「わたしがあなたがたを愛したように」とはどういうことか、一人ひとりがよく黙想して行きたい言葉です。
その愛は、選り好みとか気まぐれとか、相手が愛してくれたら愛するという愛ではありません。むしろ、自分を捧げる愛、無条件の愛で互いに愛し合う共同体でしょう。これはとてつもないチャレンジだと誰もが感じられると思います。「互いに愛し合うべきであること、それが、あなたがたが初めから聞いている使信です。」(Ⅰヨハネ3:11) 使信とは、メッセージであり、命令のことです。イエスが弟子たちに言われた命令です。あるいは天地万物を創造された三位一体の神が、人を神のかたちに似せて造られた目的です。私たち教会はそのビジョンをもって、神を愛し、互いに愛し合う「愛の共同体」を目指していきましょう。
一人ひとりが御言葉に生きる愛の人へと成長すれば、教会は美しく愛のうちに建て上げられていきます。必ずこの教会が愛の共同体として成長し、神のかたちをこの世界に表わす教会となっていくことを信じ祈ります。

 

≪分かち合いのために≫

  1. どのように互いに愛し合うことを実践していかれるでしょうか?
  2. クリスチャン同士、また教会の中で、神のかたちをどのようにしたら見ることができますか?

 今日の暗唱聖句

 

「互いに愛し合うべきであること、それが、あなたがたが初めから聞いている使信です。」                                (ヨハネの手紙第一 3章11節)

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