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現代に生きる新約

No.072  2010.01.03

 ■マルコの福音書  1/3/2010

 

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。
不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、
あなたにとってよいことです。
(マルコの福音書9:43)

 

人のつまずきとなるものを取り除く事の大切さがイエスによって語られます。前回、人のつまずきを与えるような者は、石臼を首にゆわえつけれられて、海に投げ込まれた方がましであることを語られました。更にイエスは、人の体に言及しながら、「手がつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい」「足がつまずきとなるならそれを切り捨てなさい」「目がつまずきとなるなら、それをえぐり出しなさい」と具体的につまずきを与える原因を取り除く事の重要性を話されました。
 繰り返し語られる事で、私たちはふたつの重要なポイントを見いだす事が出来ます。第一に私たちはつまずきの原因をつくりやすい者であること。また、其れを改善する事は困難がともなうこと。あらゆる努力をして人のつまずきとならないようにする事を教えられているのです。そのためには、つまずきの原因を、思い切って切って捨てるような感覚で対処する事を求めておられるのです。
 自分がつまずく原因を持ち続けることなら、神はこのことを一番嫌われます。なぜなら、人は神の作品として造られているのであり、その神の作品に傷を与える事は大きな罪だからです。しかも、天の御国に入る事を妨げることになるからです。つまずきの原因となるものが自分の体の一部ですから、しっかりと向合わないと、なかなかつまずきを取り除く事ができないのです。しっかりと決別する意識を持つ事が大切なのです。
 第二には片手片足になってでも、天国に入る事の方が如何に大切であるかという事です。両手両足がそろっていても、ゲへナ(地獄)の火の中に落ち込んでしまったら、結局は滅びです。あらゆる努力をして、すなわち、それらを切り捨て不具者となってもでも天国に入るという覚悟が大事なのです。
 キリストの光に照らされるとき,自分の内面の罪に気付かされます。自らの罪と決別しようという明快な意志を持って神に助けを求めるならば、必ず天の御国の門が開かれるのです。

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