閉じる
現代に生きる新約

No.816 2024.04.07

 ■使徒の働き 4/07/2024

 

ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルベに向かった。(使徒14:19‐20)

 

人の心は移ろいやすいものです。リステラの町で、生まれつき歩いたことのなかった男性が癒された奇蹟は町中を巻き込んでの一大騒乱となりました。パウロとバルナバを神々として祭り上げ、供え物まで持ってきて二人を礼拝しようとしたのです。
パウロは必死になって彼らの行為をやめさせ、自分たちも同じ人間であることを訴えたのでした。パウロの言葉によって町の人たちは落ち着き、平静を取り戻したかに見えました。
ところが今度は以前パウロたちに反対していたユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンから徒党を組んでリステラの町にやってきたのです。彼らはパウロたちの伝える福音が彼らが信じてきたユダヤ教を否定しているように思いこんでいたので、二人を排除しようと過激化していたのです。
彼らはリステラの町の人たちに様々な悪意を吹き込み、群衆を巻き込むことに成功します。そうしてパウロを石打にしたのでした。倒れたパウロを見て人々は死んだと思い、町の外に引きずり出して放置したのでした。しかし、弟子たちが見ているとパウロは立ち上がり、バルナバと一緒に次の宣教地であるデルベへと向かったのでした。
少し前まで、パウロを神々が下ったと祭り上げ、あがめようとしていた群衆が、ユダヤ人たちの謀略によっていとも簡単にパウロたちを今度は石打にしたのです。
目に見える奇蹟が人を救うのではないことを覚えたいと思います。神様の奇蹟は信仰の入り口にすぎません。キリストとの個人的交わりと信仰が確立されなければ、人の心はいとも簡単に変わり、賛同者から反対者に変わってしまうのです。人の心の脆弱さを見る思いがいたします。私たちの信仰は何を土台としているか。チェックしなければなりません。目に見えるものによって信仰を判断してしまうと人の意見によって簡単に躓いたりすることが起こってくるのです。キリストを罪を贖う救い主として信じ交わる信仰生活が大切なのです。

閉じる