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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.275 2022.10.09

■黙想エッセイ

 

一人の40代後半の女性が「母の学校」(聖書が教える母親像を学ぶ場)を通して、それまで自分が夫を憎み、軽んじ、不満を抱いていたことを悔い改めました。「自分の具合が悪くなるのも夫のせい、子どもたちがうまくいかないのも夫のせいだと思ってきました。夫の慎重なところは狭量な気質、倹約家なところはケチな気質、純粋なところは、うっとうしい気質と受け止めていたのです。どうしてそんなにひねくれた考え方をしていたのか…それは、夫が私の人生を逆転してくれる存在だと信じてきたからです。その期待が裏切られてしまい、夫を憎み、怒りを覚えるようになったのです。」
このように、多くの妻が夫を避け所にしたいという願望を持っています。何とか夫に希望を見出し、自分の存在感を見出そうとするのです。妻たちが夫の「助け手」になれず、「夫に対して望んでばかりの伴侶」になってしまうのは、霊的なアイデンティティを失ってしまったからです。自分の人生の成功と失敗をひたすら夫から見出そうとしているからです。結婚生活における敬虔な変化を体験するためには、神様との関係の中で自分のアイデンティティを確立しなければなりません。夫を避け所としたり、夫に希望を見出そうとするなら失望するしかありません。
聖書には、私たちが希望とすべきものがはっきりと示されています。「あなたがたの信仰と希望は神にかかっています」(Iペテ 1:21)。私たちは神様が「助け手」として召してくださった人生を歩むために、日々、神様の御前に進み出て祈らなければなりません。

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