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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.310 2023.06.11

■黙想エッセイ

 

ダビデはレビ人たちが六歩進んで何ら異常がないことを確信して、神様が箱を運ぶことを容認しておられることを認識して、肥えた牛を喜びのいけにえとしてささげます。
国全体が祝祭の雰囲気です。なぜですか?神の箱がついにエルサレムに運ばれ、ダビデと共におられる神様がこれからイスラエル全体の神様であることを国全体に現わされるからです。
今日この場に神様が共におられ、今まで見守っておられたことを信じるならば、私たちはダビデのように喜びの礼拝を捧げるべきです。感謝しながら主の御名をほめたたえる賛美を主にささげるべきです。
私たちは無知なので、神様が前におられるのか後ろにおられるのかが分からないときがあまりにも多いのです。人は忘却の動物なのですぐ忘れます。ところでもう一度考えてみれば、私たちを現在のこの場所まで導いたのは神様が成したことです。命は主にあり、たとえ失敗するような私たちですが、神様が続けて導いてくださることを悟るなら感謝すべきです。

 感謝しつつ主の門に讃美しつつその大庭に入れ。主に感謝し御名をほめたたえよ。
                                              詩篇100:4
主はいつも私たちと共におられます。時にはわたし一人だと思われる時、一人でいるのではなく主が私たちを背負ってその時期を過ごしているのです。挫折して絶望する時がありますが、結局主が私たちを立ち上がらせ勝利するようにします。それで私たちは共におられる主に感謝することができるのです。
私たちは自らの力で勝利するのではなく、主が共におられるから勝利することを感謝するべきです。ダビデも同じです。今や彼は神の箱をダビデの町に運び上げます。紆余曲折がありましたが、神様が許してくださり、主の恵みで神の箱を運び上げることができることを、真心から感謝しながら神様に栄光を帰しています。

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