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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.334 2023.11.26

■黙想エッセイ

 

私たちの感情は、自分の外にあるものを判断するための適切な基準ではありません。「あの人が私を腹立たせる」と言うなら、自分を欺いています。そのことばの本当の意味は「私は腹が立っていて、怒りを爆発させた」です。しかし、私たちは自分の怒りを認めず、すぐにほかの人のせいにします。
感情は、ボンネットの下のエンジンに何が起こっているのかを示す車の計器盤のようなものです。感情は、私たちのたましいに起こっていることを示す「たましいの計器盤」 なのです。子どもがうっかり皿を床に落として割ってしまったとき、怒りが湧き上がることがあります。しかし、その怒りはその時に作られたものではありません。お皿が割れたという出来事が、たましいの中にある怒りを目覚めさせただけなのです。子どもに腹を立てようと思っていなくても、私たちの怒りは自然に湧き上がってきます。このような感情が出てきたときは、自分の心の中に傷ついたり崩れたりしている部分がないか探ってみましょう。

祈りの中で人生を振り返り、じっくり探ってみましょう。そのようなサインは、私たちの心の中で何が起こっているのかを示しているからです。怒りを感じるとき、ほかの人のせいにする前に、なぜそのように感じるのかを考えてみましょう。そして、自分自身がキリストにあってどのような者なのかを考え、あわれみ深い神様と対話しましょう。自分の感情よりも大きな神様の御前に進み出て告げることが、祈りなのです。
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