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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.349 2024.03.10

■黙想エッセイ

 

神様が用いられる人は、最高の人ではなく、最善の人です。主は、ガリラヤの漁師たちを弟子として召されました。また、パウロやバルナバなど、アンティオケの教会の謙遜なクリスチャンたちが最善を尽くしたとき、彼らは世界の歴史を変える道具として用いられました。 クリスチャンが世の人々と同じように最高になろうとするとき、問題が生じます。私たちは最高になるために、たやすく不義と妥協してしまいます。また、生活の場でたやすく信仰の良心を捨ててしまうのです。
最高を目指して手段と方法を選ばない人が経済的に豊かになり、高い地位に就いて権力を握ることがあります。しかし、そのような人は、神様に良い道具として用いられることはありません。最高であること、最高を追い求めることは、欲望の産物だからです。神様は、私たちのことを相対評価されません。私たちに限界があるにもかかわらず、一人ひとりについて絶対評価されます。そして、限界の中で私たちが神様のために最善を尽くすとき、神様は取るに足りない私たちを用いて、一つの時代を新しくされます。
神様は狭い門に向かう人々を用いて世を変えられます。世の拍手喝さいや美辞麗句に振り回されず、人々の陰謀にも屈しないで生きることができる道は、ただ一つ、必ず報いてくださる神様に従って歩むことです。

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