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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.403 2025.03.23

■黙想エッセイ

 

詩篇には「都上りの歌」という題が付いた詩がいくつかあります。巡礼者たちがそれぞれいる場所から、エルサレムの神殿に向かって歩いて行く間に歌った歌です。そう考えると、神の宮に着いてその庭に入る瞬間ではなく、礼拝のために旅立つ瞬間からすでに礼拝は始まっているのです。礼拝は、自分自身の関心をただ神様に向けて集中することですが、実は現代人たちは何かに集中することが非常に難しくなっています。注意を分散させる文化の中に生きているからです。
静かな時間に散歩をしていて、落ちてきたりんごを見て偉大な原理を発見したニュートンのような科学者に会うことは、現代社会では非常に難しいでしょう。
現代人は、りんごの木の下でもSNSを確認するのに忙しいからです。心を静めたり何かに集中したりすることが大変な環境なので、一つの対象に集中する力もだんだん衰えているのです。
アメリカのある教会の案内に、次のように書かれているのを見たことがあります。「礼拝堂に入る前に、携帯電話の電源と、すべての心配事を切ってください」皆さんも携帯電話の電源を切る行動を通して、自分が切り離すべきものがあると自覚してください。止まることなく迫ってくる心配と不安を、礼拝中には遮断しましょう。私たちの心を神様に献げることに集中しましょう。ただ神様だけに注目し、礼拝する喜びと感動を味わってください。

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