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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.404 2025.03.30

■黙想エッセイ

 

お金の心配のないクリスチャンとして生きるために、まずすべきことは、自分の主人がだれなのかをはっきりさせることです。自分の人生の主人が「自分」であると考えるなら、どんなにそのために予算を立てて貯蓄したとしても、砂上の楼閣にすぎません。また、「お金」を主人にするなら、お金の心配から逃れられません。かえって、お金の奴隷になってしまいます。すべての権限を主にゆだねるとき、主に拠り頼み、何の心配もなくこの世を生きていくことができます。自分の人生の主人を「神様」に決めると、神様に献げることが自由になります。献金をすることが負担ではなく、喜びとなります。自分は主人ではなく、主人に仕える管理人として生きているので、不安もなくなります。すべてのものは主人のものだからです。管理人は主人のみこころに従えばいいのです。財産を増やすために悩んだり、財産が減ってしまうことを恐れたりする必要もなくなり、自然に礼拝と祈り、みことば中心に生きるようになります。
お金の心配をする人たちに、どうしても伝えたいことがあります。それは、どんなにたくさんお金を稼いでも、神様がいのちを取り去られたら、一晩ですべてのものが無意味なものになるということです。その日には、どのようにお金を稼ぎ、どのようにそれを使うかという計画も、水の泡となってしまいます。自分のお金を守るために夜も眠らず心配するのはやめ、神様に聞き従うことを通して平安を得てください。

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