■黙想エッセイ
私たちは、神様に叫ばずにはいられない環境の中で生きています。一寸先は何が起こるか分からない困難な時代だからです。順調だと思っていたのに、ある日突然挫折したり、平穏だった日常が一瞬で壊れたりもします。明日を保証してくれるものなど何もありません。
そんなとき、私たちは叫ばなければなりません。叫ぶことは緊急事態ですることですが、実は人間本来の姿であり、弱い人間の本質的な姿。私たちは神様の御前で叫ぶ者として召しを受けています。ところが私たちは、自分の人生に祈る必要がないことを願っています。叫ばなければならない状況が全く起こらないことを夢見ています。しかし、聖書で語られている祝福は、神様だけを渇望する状態のことです。神様を求める必要がなく、叫ぶ必要もない状態が祝福とは言っていません。
神様への切実な思いや飢え渇きを失うなら、信仰生活が危機的状態に陥るかもしれません。「神様は私の都合に合わせて働いてくださるだろう」と考えているなら、すでに神様が優先順位から外れてしまっているのです。私たちが切実に神様を求めるなら、神様は助けてくださいます。何も持っていない者のように、ただ神様を求めるなら、神様は私たちを助けてくださいます。ご自分を求めるすべての者を守り導き、ご自分によって喜び楽しむ者としてくださいます。