閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.445 2026.01.11

■黙想エッセイ

 

私たちは、私たちに対して怒りを燃やされている神様を思い浮かべることができません。そんな神様を礼拝することは、なおさらできません。聖書は、神様は愛だと、はっきりと語っているからです。
しかし、罪人に対する神様の怒りは、神様の愛と相反するものではありません。
その怒りは愛から出ているのです。神様は、ご自分の栄光と被造物への愛のゆえに、それを破壊する罪に対して憤られます。ご自分の似姿に造られた私たちを愛しておられる神様は、罪が私たちに及ぼす莫大な被害をご存じで、深く悲しまれます。
私たちがだれかを愛すれば、その人を傷つけるものを憎むようになります。
だれかを愛すれば、その人を死に至らせる病や人生を破綻させる依存症を憎みます。これが、神様が私たちの罪に対して感じられる感情です。神様は罪を憎み、罪に対して怒りを抱かれます。神様がそのような感情を感じないとしたら、義と愛の神様とは言えません。神様は、私たちを罪から引き離すための方法を備えられました。それは、怒りのさばきと死、罪の究極的な結果を自ら負われることです。そのようにして神様は、そのみわざを受け入れる者たちに救いの道を開かれました。
十字架は、神様の愛の大きさを示す尺度です。神様には、私たちを赦すためにできないことはありません。神様は私たちの罪のために憤られ、私たちのために、私たちの代わりに地獄を通られました。これが愛です。

閉じる