「イエスが必要です」
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒の働き4:12)
昨日は何人かの兄弟姉妹と共に教会案内のチラシ「東京グッドニュース」をポスティングいたしました。南千住の団地に行ったのですが、前回配った時に比べると新しいマンション群が次々に建設中となっていて、その規模の大きさに目を見張りました。大きなショッピングモールも出来、小学校や中学校も建設され、ちょっとした町に変貌しているのには驚きました。2~3年前までは草ぼうぼうの
更地が少しの間にかくも変わるものだと思いました。そんな建物を見ていると人間の果てしない野望とエネルギーを感じます。
でもそこで過ごしている人々がみんな幸せかというと、必ずしもそうだとはいえません。中には年老いて寂しく一人で住んでいる人もいれば、家族の問題で悩んでいる人もいます。どんなに立派な真新しい住まいに住んでいても、魂が救われ心に平安が無ければ虚しさはなくなりません。
以前尋ねた主婦の方がおられました。立派なマンションの中で電気もつけず暗がりの中で一人座り込んでおられました。わたしの来訪に気づいて電気をつけてくださったのですが、豪華な応接間には不似合いな空のビール瓶がテーブルの上に転がり、飲みかけのウイスキーのグラスが置かれていました。ご主人との不仲に加えて子供の不登校で、精も根も疲れ果てておられました。確かに飲まずにはおれない状況だったのでしょうが、一時の憂さを晴らせても根本の問題を解決するには至らないのは明白でした。保険会社に勤めておられたのですが、部下を引っ張っていくやり手として支部でも有名でしたが、一人になるとその重圧も彼女を苦しめていました。彼女にもイエス様が必要だったのです。人の助けではない、また物でもない、彼女の心を満たすもの。彼女の本当の姿を知っておられ救いに導いてくださるイエスキリストの愛が必要でした。
「救い主イエスキリストにすがりましょう。自分ひとりで頑張るのをやめてイエスに助けていただきましょう。」そういう私の言葉に、彼女は直ぐには心を開けられませんでした。でもキリストが私たちの罪のために十字架にかかられ、身代わりとなり死なれた事。信じればその罪は赦され、重荷は取り除かれる事を話したとき、彼女も「イエスを信じたい」と告白されました。涙と共にお祈りをしたのですが、主イエス様は彼女の重荷を取り払われたようでした。後日洗礼を受けられました。やがて祈りが聞かれ、彼女の子供さんも不登校から立ち直り、学校を卒業し、今は幸せな家庭を築いておられます。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒の働き4:12 )
全ての人にイエス様が必要です。このお方以外に救いはありません。あなた自身はイエスに出会っていますか? 代替品では間に合いません。全ての人にこのイエス様の救いが必要なのです。あなたの周りの人にも、このイエス様を知っていただきましょう。
(プレイバック週報 2004年8月8日「牧師館」より 西田育生師)
