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現代に生きる新約

NO.869 2025.04.06

「聖餐の喜び」  ルカの福音書 22章 14節-20節   井上 圭 伝道師

 

今日のメッセージは過越しの祭の祝いの食事を弟子たちとともにする場面です。過越しには神のご計画がイエスを通して成し遂げられることが啓示されています。「…私は、苦しみを受ける前に、あなた方と一緒にこの過越しの食事をすることを、切に願っていました。」(ルカ22:15)イエスは十字架の受難を前にして過越しの食事にある神の奥義を分ってもらいたいと思われたからです。それは私たちにも関係があることが分ってきます。
こんな記事があります。「あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。」(出エジプト12:6-7)罪のない子羊の血を柱と鴨居に塗った家の前は神の裁きが通り過ぎました。「…わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。…その日を主への祭りとして祝い、世々守るべき永遠の掟としてこれを祝わなければならない。」(出エジプト12:13-14)ユダヤ人達はエジプトの危機からだけでなく子羊の血によって神の裁きからも救われました。これが意味するのはイエスが十字架で「過越しの子羊」となって私たちの救いを実現したということです。さらにイエスはもっと素晴らしい食卓に目を向けておられました。「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。」(黙示19:7)子羊の婚礼の食卓は喜びと楽しみにあふれ、神をほめたたえる食卓で花嫁(イエスを信じる者)が食卓に着いています。
それからイエスは聖餐について語られました。「…それからパンを取り…『これはあなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。』…杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約です。』」(ルカ22:19-20)過越しの祭の「杯」は4杯あり①「感謝の杯」「聖別の杯」②「裁きの杯」③「贖いの杯」④「祝福の杯」「賛美の杯」です。これを別のところでは①罪の赦しが与えられ②神を知り、み心を知る者になる③神との親密な関係が結ばれ交わりに入れるようになる(エレミア31:33-34)とあります。イエスによってこの預言が成就し新しい契約が結ばれたのです。それを心に留めるためにあるのが聖餐式なのです。「わたしを覚えて、これを行いなさい」(ルカ22:19)とイエスは言われました。「わたしを覚えて」とは「わたしを思いだす度に」と言い換えることができます。イエスの再臨の日まで聖餐にあずかりながらこれを心に留めておきましょう。
「私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンはキリストのからだにあずかることではありませんか。」(Ⅰコリ10:16-17) 杯とは苦しみを意味することがありますが、イエスがすでにこれを味わい、弟子たちもイエスの苦しみを共に受けてくださいました。ですから私たちが神の裁きの杯に会うことはないのです。あずかるとはコイノニア、交わりのことです。イエスの十字架の贖いで「賛美の杯」が与えられたのですから、私たちは神をほめたたえ、賛美し続ける共同体でありたいものです。聖餐の喜びの源はイエスが十字架で成し遂げた救いのみ業なのです。

イエスが支払って下さった大きな代価を受け取る時、どのように応答するかが人生の中に問われます。キリストの体である教会で自分がどのように仕えることができるのかを考えましょう。さらに世の人々へどうしたらこの新しい契約を伝えることができるのか、人々に仕えることができるのかを心に留め実践する者になりましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. 新しい契約をイエス様の十字架を通して結ばれた者としてイエス様にどのように応答していますか?
  2. 聖餐にあずかるコイノニアに加えられた者として教会と生活でイエス様のどんな姿や態度を見習い、実践されますか?

 今日の暗唱聖句

 

「私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。」(コリント人への手紙第一 10章16節)

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