「あなたは神の国から近い?」 マルコの福音書 12章28節-34節 井上圭 伝道師
愛に生きることはクリスチャンライフの必須項目ですが、この世の愛は恋愛に代表されるように感情的、衝動的なものです。聖書に記されている愛(ヘセド)は契約の愛でそれには行いと従順を伴います。
「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』…」(マルコ12:29-31)サドカイ人は復活に否定的ですがパリサイ人は復活を肯定していました。彼らは律法全体の要となる教えは何かを知りたいと思っていました。イエスなら律法全体の要の教えを知っていると思いこの質問をしたのです。イエスが話された第一の戒めは旧約聖書の「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くしてあなたの神。主を愛しなさい。」(申6:5)に記されています。これはシェマの教えと呼ばれ、ユダヤ人にとって重要な教えです。「聞け」(シェマ)にはただ聞くだけでなく「聞いて従う」「聞いて行う」意味があるので「聞け、イスラエルよ」とは「聞いて従いなさい」という意味です。それへの答えは「アーメン、従います」以外にはありません。御言葉に聞いて従う時に神は祝福を備えて下さいます。信仰は聞く事から始まります。神の御言葉を聞いて従う時に神の祝福を体験出来ると信じます。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人の上に現します。」(ヨハネ14:21)イエスは神の御言葉を聞いて従う人にイエスご自身を現して下さるのです。日曜礼拝や集会だけでは不十分です。メッセージを聞くだけでは十分でありません。一人ひとりが毎日、神の御言葉を聞き、そして従っていくことを学んでいかなければなりません。
第一の戒めは、「心、いのち、知性、力の全てを持って神を愛しなさい」ということです。「心を尽くし」とは私たちの持つ「知、情、意」全てで神を愛することです。「いのちを尽くし」のいのちとは魂のことです。神が「…その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きる者となった。」(創2:7)からです。私たちの存在そのものが魂なのですから神を愛する事が私たちの存在理由だということです。「知性を尽くし」とは深い考えのことで、神を愛する為に神を深く知るということです。「力を尽くして」とは自分の体、時間、能力、持ち物の全てで神を愛することです。それが本当の愛の姿(アハヴァー:ギリシャ語でアガペー)で神の民である私達に求められています。イエスは私達の為にご自身の全てを捧げて下さいました。愛は出し惜しみするものではないからです。
第二の戒めは、隣人への関わり方は日常生活の中で具体的にあらわされるべきもので身近な人を愛することで実践できます。特に神の家族への愛は大切で、互いに愛し合うことが必要です。「神を愛すると言いながら、兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していないものに、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。…」(Ⅰヨハネ4:20-21)隣人をどのように愛しているかで神をどのように愛しているかがわかります。キリストの弟子である私たちは「心、いのち、知性、力」の全てで神を愛し、自分と同じように隣人を愛する召命を受けています。神の願いはキリストの満ち満ちた身丈まで私たちが成長することです。それには第一、第二の戒めを実践することが大切なのですが、私たちの努力で実践するのは難しいでしょう。それには聖霊の助けが必要です。祈りの中で聖霊充満を求めましょう。
イエスの答えに律法学者は感心しましたがそんな彼にイエスは、神の国から「近い」ではなく「遠くない」と話されました。神の国から「近くなる」ためには神の言葉を聞いて従う必要があるでしょう。イエスは私たちの全てで神を愛する事を願っておられます。新しい年、イエスの祝福を受け取る私たちになる事を祈ります。
≪分かち合いのために≫
- 今年一年のご自身の御言葉ライフを振り返って、神の国から近いか、遠いか、どの距離感 だったでしょうか
- 来年実践したい御言葉ライフはどんなことですか。さらに神様を愛する生活をどう実践され ますか
今日の暗唱聖句
「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、 力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」 (申命記6章4、5節)