◆主と共に生きる◆信徒の証し

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2018.10.07

■鄭 敬珍

 

約2年に渡る弟子訓練が終わりを迎えました。弟子大学2学期が終わった今、頭の中に浮かぶのは、これまでのすべての時間は神様からのプレゼントだったということです。決して完璧とは言えないし、やっていく中で心配や迷いもありましたが、最後まで喜びを持って全うすることができたのは、神様の恵みによるという一言に尽きます。養育をはじめた理由はもっと聖書のことが知りたい、車輪の生活を定着させたいといったことでしたが、今振り返ってみると、弟子訓練は「勉強」ではなく、主の愛を知りそれに応えてゆく「旅」のようなものでした。その旅を通して、私は確かに以前より強くなり、主とともに生きるようになりました。
旅をはじめたばかりの時空っぽだった私のリュックの中は今、御言葉でいっぱいになって
いるように思われます。御言葉は養育の旅路の道しるべとなり、励ましとなり、友になって
くれました。
  以前の私は不安なことや悩みがあると、人に相談し答えを得ようとしていました。
一人で悩みを抱えるのが嫌だったのかもしれません。そんな私がだんだんと人ではなく、
祈りという会話を通してイエス様に打ち明けていくようになりました。不思議なことに、弟子大学のテキストに御言葉を書く時、自分にぴったりのみことばが与えられたり、弟子大学の授業中、先生の講義やみんなとの分かち合いの中で、その時に必要な気づきが与えられました。祈ることで主はタイムリーな励ましの言葉や勇気、希望を与えてくださったのです。
また、弟子訓練を通して車輪の生活の大切さを学びました。車輪の生活とは御言葉を読み、QTをし、祈る。礼拝の時間を守り、セルでの交わりを大事にする。また、喜びを持って教会の奉仕をし、魂のために祈ることをいいます。養育をはじめた頃はそれが重苦しい仕事のように思えました。しかし、今は車輪の生活が神様の愛に対する応答であり、主のロード−シップを認める信仰の表れだということがわかります。神様は人間に自由意志を与えてくださったのですが、喜びをもって進んで車輪の生活をすることをきっと神様は喜んでくださると信じています。弟子訓練という旅路の中で車輪の生活は常に私の中心軸がブレないように、また、霊的に鈍くならないようにしてくれました。
 弟子大学のテキストに「卒業は終わりではなく、新たな始まりである」という文言があります。私は今、新たなスタートラインに立っています。弱い私ですがありのままの自分で大丈夫、すべてを主に委ねていこうと思っています。私は器であり光を放つのはイエスキリストの愛だからです。「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」(ヤコブの手紙5:13)養育の期間中、励まされた御言葉です。これからも神様からいただく御言葉を握って生きていきたいと思います。
(鄭 敬珍)

 

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