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2019.11.03

「主イエスと共に歩む」  ルカ福音書19章28-40節   西田育生牧師

 

私たちの人生において自分の思いと神の計画とが異なることが往々にしてあります。そのような中、どのようにして主と歩んでいけばよいのでしょうか。今週の聖書箇所から学んでいきたいと思います。
 まず第一に、人の思いと神のご計画の違いを知ることです。エルサレムの人々は、軍事的、政治的なメシアとしての役割をイエスに期待していました。弟子たちもまた「人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。…彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。」(ルカ18:32-34)とあるように、これからイエスに起こるであろう苦難の予告を理解できないままでいました。このように、私たちは神を信じていると言いながらイスラエルの人々や弟子たちのように神のご計画を正確に理解できていないのではないでしょうか。創世記に出てくるヨセフの人生も苦難の連続でした。しかし、それらがすべて働き、彼の人生にとって益へと変わっていったのです。聖書にも、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)とあります。ですから、すぐには神のご計画が理解できないとしても、「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(箴言19:21)と信じ、従っていくことが大事なことなのです。
 第二に、主の主権に従うことです。イエスは弟子たちに「もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」(ルカ19:31)と、ろばの調達を命じました。一見勝手なことを言っているように思えます。しかし、ここで意味するところは「このろばの持ち主は主イエスである」ということです。私たちの本当の主人はあくまでも神です。私たちの人生は神から預かっているものなのです。「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。」(Ⅰコリント4:1-2)とあるように、私たちは神から預かったいのちの管理者なのです。このことを心に留めていきましょう。
 第三に平和の君として来られたイエスと共に歩むことです。イエスが軍馬ではなくろばに乗られたのは「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ9:9)という預言の成就です。弟子たちはイエスの言われた通りに実行しましたが、イエスが言われた真の意図を理解できないままでした。しかし、たとえ理解できなかったとしても従うのが信仰です。弟子たちは理解できなくても主に用いられました。「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。…しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。」(詩篇73:21‐26)とあります。この詩篇の作者は文字通り非常に大きな苦難に直面していました。にもかかわらず神はこの方とともにいたことを告白しています。これに似たような聖句として「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず…羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」(ハバクク3:17‐19)というのもあります。これらの聖句から神の愛を垣間見ることができるのではないでしょうか。
 自分の計画と神のご計画が異なっていることを知った時、すぐには理解できないかもしれません。しかし、それでも信じることが信仰です。私たちは神の大きな御手と計画の中で生かされています。そのことを信じ主を見上げて歩んでいきましょう。そうするところに神は偉大なる御業をあらわされるのです。


≪分かち合いのために≫

  1. 自分の計画と神様の計画の違いを知らされた体験はありますか?
  2. 主イエスがあなたの人生の主人といえますか?
  3. 主イエスに従っていくためにチャレンジすることはありますか?

 

 今日の暗唱聖句

 

「もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」(ルカ19:31)

 

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