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2019.05.12

 「愛は道を開く」  マタイの福音書15章21-28節  西田育生牧師

 

今日は母の日です。聖書個所も一人の母の信仰で娘が癒されるお話です。その娘はひどい悪霊に憑かれていたので人の力ではどうすることもできませんでしたが、その母親はイエスならば治せるかもしれないと近づいて行きました。彼女の娘に対する思いから「・・・私をあわれんでください。・・・」(マタイ15:22)としだいに母と娘は一体化されていました。信仰とは特別に高尚なものではなく、生活の場から生まれるトラブルや問題から神を求めることです。神は私たちに日々起こって来る問題を決してないがしろにされたり無視されたりはなさいません。しかしイエスはその母親に対して沈黙なさいました。それでも彼女は叫び続けたので弟子たちがイエスに頼むと「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」(マタ15:24)と拒絶なさいました。加えて「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」(マタ15:26)と言います。一見すると冷たく思えるイエスの態度にも関わらず、結局その母親には娘が治るという恵みが与えられました。この記事を見ると、イエスの沈黙も拒絶もそれぞれに意味がありました。その時には分からないけれどもこの母親のように「それでも尚」と言って主に求めることができるでしょうか。この母親のように恵みを受けるにはどのようにすれば良いでしょうか。
第一にイエスを信頼することです。イエスが沈黙した意味は何でしょうか。それは彼女の信仰を引き出す意図があったのではないでしょうか。イエスに拒絶されても母親は「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタ15:27)と上手く切り返しました。小犬と言われてどう捉えるかによって答えは違っていきます。彼女は怒って帰っても良さそうなものでしたが、あきらめずに切り返していきました。彼女の素晴らしい所は自分が小犬だと認めたことです。私たちも信仰生活の中で神が言われたら「はい、そうです」と認めていきましょう。彼女は三度も拒絶されながら主の懐に飛び込んでいくとイエスは受け止めて下さいました。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」(マタ15:28)彼女は特別凄いことをしたわけではありません。必死にすがりついてイエスを信頼しただけなのです。人のことは信じられなくてもイエスを信じましょう。イエスは決して裏切りません。
異邦人に対してイエスは前にも様々な恵みを与えられました。ローマの百人隊長が自分のしもべの癒しを求めた時に「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイエスエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」(マタ8:10)と褒められました。ゲラサ人の地で墓場に住み、悪霊に憑かれた男を救いました。彼がイエスについて行きたいと願ったときに、自分の郷里に帰って自分に起こったことを伝えるように言われました。ゲラサ人の多くに恵みを伝えたかったのです。(ルカ8:2~)彼女のイエスに対する信頼はイエスの態度で揺らぐことはありませんでした。
第二に、彼女の目的意識が恵みだったことです。彼女は、自分がどうあれ娘が治ることが目的でした。私たちは何のために教会に来ているのでしょうか。教会に来る意味や目的を見失わないようにしましょう。神と私たちの縦軸が弱いと周りのものに振り回されてしまいます。この母親はイエスに揺さぶられたと思うことがあっても揺らぐことはありませんでした。イエスに対して「その通りです」と認めて、目的である娘の癒しのために自分がどういわれても何をされても主から恵みを頂くことを求めたのです。イエスが与えたことならばその敷居や壁を越えて恵みがやって来ると信じましょう。
あなたの信仰を妨げているものは何でしょうか。思い切って主の懐に飛び込んでみましょう。答えがなくてもあきらめずに主を信頼していくと神はそこから御業を現してくださいます。


≪分かち合いのために≫

  1. 母の思い出があれば分かち合ってみてください。
  2. 祈りが答えられないように思う時、どのように向き合えばよいでしょうか。
  3. この母親のイエスへの信仰からどのようなことを学ぶことができるでしょうか。

 

 今日の暗唱聖句

 

 「しかし、女は言った。『主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。』」(マタイ15:27)

 

 

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