2024.12.29
「信仰者へのパウロの勧告」 Ⅰコリント人への手紙15章58節 井上 圭 伝道師
今年もあっという間に一年が過ぎ去りました。来年は教会として30年目の節目の年になりますが、新しい決意を持って新しい年を迎えていきたいです。今日の聖書箇所から3つのポイントをみていきましょう。
第一に、動かされることなく、イエス・キリストという土台に堅く立ちましょう。社会全体が混迷を極める時代に、私たちは神の言葉に立つ必要があります。別の所で「兄弟たち。…あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。」(Ⅰコリ15:1)とあるように人生の土台は福音の上に立てるべきだと語っています。福音には三つの要素があります。①キリストは、私たちの罪のために死なれたこと②キリストは葬られたこと③キリストが三日目によみがえられたことの3点です。これがキリスト教信仰の根幹です。コリント教会で「死者の復活は無い」という考えが蔓延しました。その時パウロは信徒たちにもう一度思い起こさせました。「ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。…」(コロ1:23) これはコロサイ教会に語られた言葉ですが私たちにも語られています。「だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」(Ⅰコリ3:11)福音が土台であり、イエス・キリストが土台です。土台を福音以外にするなら砂の上に家を建てた愚かな人であり、福音を土台とする人は岩の上に家を建てた賢い人だ(マタイ7:24~29)とイエスは言われました。私たちの人生の土台は福音でありイエス・キリストであり神の言葉なのです。
第二に、主の働きのために全身全霊をささげましょう。パウロは全身全霊をかけて福音に生きイエスキリストを伝え神の言葉に従った人です。それは簡単なことではありません。私たちは妥協したり言い訳をするからです。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。…アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。」(Ⅰコリ15:20-22)イエスに属する全ての人も同じように再臨の時に栄光の体によみがえります。私たちの肉体はやがて朽ちますが、キリスト者には朽ちない体を着る希望があります。パウロはその希望を抱き続け主の働きに完全に自らを捧げました。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・」(ガラ2:20)パウロはイエスに出会った時から生きる目的が180度変わり神の言葉に生きる人生になりました。「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(ピリ1:21) では私たちは自分の人生をどう生きるでしょうか。
第三に、主に結ばれ、主のために行なう労苦に無駄はなく、主が報いてくださいます。「あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのです。」(Ⅰコリ15:58b)パウロはコリントの教会に主のわざに励んでいること福音を土台として生きていることは無駄でないと励ましました。私たちの人生にも自分のしていたことが無駄だと思うことほど空しいことはありません。ソロモン王は様々な功績で賞賛を受けた人ですが彼は「日の下で骨折った一切の労苦」(伝2章)は空しいと言いました。どんなに素晴らしい功績を残しても神から離れたら空しいと言ったのです。「主にあって無駄ではない…」(Ⅰコリ15:58)とありますが、これは「主に結ばれて」とか「主のために行う」などと訳されています。あくまでもイエスに結ばれて行った労苦が天の御国で報われるのです。「ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」(コロ3:17)主から示された働きに忠実に仕える者になりましょう。
2025年に私たち一人一人が主に結ばれてイエスのために全身全霊で励んでいく教会になっていきましょう。動かされることのないイエスキリストの土台に堅く立ち、福音に生きる教会になっていきましょう。
≪分かち合いのために≫
- 過去に何を人生の土台としていましたか?イエス様を土台にした変化は何がありましたか?
- 新しい年、イエス様のために何をしていきたいですか? 全身全霊で励む価値のあるものですか?
今日の暗唱聖句
「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなた がたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」 (Ⅰコリント人への手紙15章58節)