2025.05.25
「愛において成長する」 シューミン・クオン師
聖書の中に興味深い御言葉があります。教師がイエスに最も大事な戒めは何かとたずねた時に、イエスは「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」(マタイ22:37-39)と答えられました。これは確かに素晴らしい御言葉ですが、愛することは簡単ではないのです。
私はカンボジアで育ちました。子供のころカンボジアがベトナム戦争に巻き込まれ、多くの人々が家族や財産を失いました。その後大虐殺が始まったので家族でカンボジアから逃げなければならなりませんでした。そんな中、私は親戚から虐待をうけました。それが原因で鬱になり、高校生の頃、鬱の苦しみから救われたいと思うようになりました。鬱になって5年目のことです。クリスチャンの友達が「イエスと出会ったら愛・平安・喜びがもらえる」と教えてくれました。ある時、神を信じるようになりましたが、クリスチャンの友人が言ってくれたようにはなりません。それから数年、教会に通って「互いに愛し合いなさい」というメッセージを聞きましたが愛する事ができません。それは、これまでの悪い体験、誰かに傷つけられた事で心に傷を負っているからです。
「愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。」(Ⅰヨハネ4:8)私も自分の内側の傷から逃げていました。ある事情でジプシーが好きではなかったのにルーマニアでジプシーの教会でメッセージをするように言われました。礼拝でメッセージをした事がないこともあり、メッセージをすることが不安でした。それで賛美の間じゅう祈った後、神がすべての人を愛しているというメッセージを語りました。愛についてのメッセージを沢山受けているのに人を愛する事ができません。それは心に傷があるからだと気がつきました。重ねて祈ると、神は「愛しやすい人を愛するのは簡単。君に愛しにくい人を愛する事を教えたかった」と答えて下さいました。それから神は愛しにくい人の愛し方を教えて下さいましたが、その方法は相手によってさまざまに異なっていたのです。
これからお話しすることは今の世の中の問題です。「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」(マタイ24:12)不法がはびこるとは、罪が増える、人々が悪い事を言ったりしたりすることです。そうすると愛が冷えて愛する事が上手く出来なくなります。そして「終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。」(Ⅱテモテ3:1-2)金銭を愛し、自己中心的になってしまい愛する事が出来なくなります。夫婦や子供との関係が上手く行かずお互いに怒りを持つようになって、聖書は愛する事を教えているのにそれを実践するのが難しくなってきています。
NASAの関連会社で働いていた時のことです。その時のマネージャーは愛する事が難しい人でした。そんな時「神は愛」「イエスが十字架につけられても愛し、赦した」ことを思い出し、神に「この人を愛する方法を教えて下さい」と祈り始めました。こうして彼の愛しかたを学んだので、プロジェクトがキャンセルになるまでその職場に留まる事が出来ました。そして職場の最後の日に彼が私に良くしてくれた事を手紙に書いて渡したら「私はもう少しでクリスチャンになる所だった」と言われたのです。
神は私たちが愛する事を願っておられます。ある時、離婚を考えていた夫婦に彼等の心にある怒りを取り除くミニストリーを行ったところ、彼らはお互いに愛する事を学びました。このように自分を傷つけた人をも愛する事が出来るようになるのです。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」(Ⅰペテロ4:7-8)と聖書が教えているのに現代は愛し合う事が難しくなってきています。私たち夫婦が結婚する前に「結婚すると大変よ」「ハネムーンまではいいけどそのあとがね」などとよく聞きました。しかし私たち夫婦にはそんなことはありません。互いに愛することを学び続けています。神は私たちに愛において成長してほしいと願っておられます。教会で愛を学んでも実生活では愛を見出せない、これは神が望んでいる生き方でしょうか。神を愛するなら兄弟姉妹も愛せるはずだと聖書は教えています。そうなりたいと願っていても腹が立つ事も起こるでしょう。皆さんは愛をもって歩みたいですか。神がどのようなお方なのか人生で体験したくないですか。
神は私たちがどこにいるのか、傷や過去の経験、直面している問題を全てご存知です。私たちは神の愛を知っています。お互いへの愛、兄弟姉妹への愛、家族への愛を与えて下さるようお祈りします。