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 ■ルカの福音書  12/9/2018

 

しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。
彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。
(ルカの福音書18:34)

 

イエスの十字架の受難の予告を聞いた弟子たちでしたが、イエスの言われていることを理解することができませんでした。「彼らにはこのことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。」と記されています。隠されていたとありますが、どのような意味で隠されていたのでしょうか。
第一は、弟子たちのイエスに対するメシア待望の意識の強さが、イエスの十字架を隠してしまったと言えます。弟子たちだけでなく、当時のユダヤ人たちの中には熱烈に救い主を待望する人たちがいました。救い主が現れて、ローマ支配の圧政から救ってくださる救い主が出現すると信じていたのです。
ですから弟子たちも、イエスこそ救い主だと信じていましたが、イエスが予告されたような十字架の苦難を通して救い主の業を完成されるということは考えてはいませんでした。
弟子たちの期待とイエスが語られた受難の予告とはあまりにも開きがありすぎて、イエスの言葉が理解でしなかったのです。その意味で隠されていたと言えます。
また第二は、隠された事には神様の意図があるということです。すなわちイエスの苦難は誰にも理解されず、見捨てられた救い主の姿で示されているのです。
人々はイエスに対して無理解であり、身勝手です。それは律法学者たちだけでなく、弟子たちもイエスの意図が理解できないのです。自分たちの思惑にとらわれてしまっているのです。十字架を前にして、浮き上がってくるのは人々の罪深さであり、自己中心性です。イエスは自ら十字架にかかる中で、人々の真の罪深い姿をあぶりだしておられるのではないでしょうか。ついに最後まで、人々の目には十字架の意味は隠されていたのです。

 

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