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 ■ルカの福音書  4/15/2018

 

だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、
また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。(ルカ16:18)

 

聖書を理解し解釈する時、私たちは自分にとって都合の良いように解釈する傾向があります。イエスの時代の人たちも、「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申命記24:1)というモーセの律法の言葉を、妻が気に入らなくなれば、離縁状を書けば離婚ができ家を去らせることができると、考えていたようです。しかもそれは夫だけが有する権利として解釈されていました。
「恥ずべき事」「気に入らない」状況というのは如何様にも解釈できる言葉です。そこに人の罪やエゴが入る可能性があるのです。モーセがこのようなことを律法に書いたのは人のかたくなな罪深い生き方が背景にあったのです。最初からそれが明記されていたわけではありません。創世記に記されている結婚とは「妻と結び合い二人は一体となる」(創世記2:24)というのが原則なのです。
人は身勝手ですから、聖書の言葉さえも時には自分の正当性を担保するための言葉として使ったりするのです。
イエスはその人の罪深さを知っておられて、離婚を正当化する人たちにしっかりと結婚の神聖さを示すために「だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。」と言われたのです。
このイエスの言葉は離婚することを簡単に考えてしまう現代の風潮に対しても、より慎重になることを示唆している言葉でもあります。離婚問題の背後には自分たちの罪ある生き方があることを自覚しながら、まずその罪と向き合い、神の前に謙虚に生き方を問い直すことが求められているのです。問題が生じたとき、しっかりとした反省と悔い改めがなされることが第一であることを覚えたいと思います。

 

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