2025.06.01
「今日も信頼しつづけよう」
「恐れないで、ただ信じていなさい。」 (マルコの福音書5:36)

先日訪問先の病院で待合室でパンフレットを見ていました。体の中でも心臓は一番の働き者だそうです。1分間に約70回。一日に10万回も動いているのです。一年にすると3650万回。私の年齢で計算すると、生まれてこのかた実に、17億1550万回以上も動きつづけてきたことになります。思わず、心臓に感謝をしてしまいました。
機械のように油をさすわけでもなく、燃料を補給するでもなく、寝ているときも休まず働き続けている心臓。酸素と栄養を血液を通して体の隅々に送り届け、そして老廃物を運んで帰ってくる、その血液を送り出すポンプ役が心臓です。その意味ではほんとうに働きものです。もちろん、愚痴なんか聞いたことがありません。その他の臓器もそうです。もし各臓器が勝手気ままに動いてしまったり、途中で止まったりしたらどうでしょうか。わたしたちは生きて行くことはできません。実に神様は体の器官が忠実な働きをするように造っておられます。それに比べて、私たちの生き方はどうでしょうか。よく落ち込みます。環境に左右されてしまいます。またすぐふくれてしまいます。一旦問題が起こってしまうとこれほど自分の信仰は弱かったのかと思うほど落ち込んでしまう場合があります。
会堂管理者ヤイロという人の娘が病に冒され、父親がイエスの所に助けを求めてやってきます。父親とイエスたち一行が家に着くと、娘は亡くなったという知らせが彼のもとに届けられます。そのことを聞いた時の彼の心中を想像できるでしょうか。
イエスはその話を聞かれて、ヤイロに言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい。」(マルコの福音書5:36)やがてイエスの言葉どおり、娘はイエスの御手を通して癒されるのでした。「恐れないで、ただ信じていなさい。」このイエスの言葉は、恐れと絶望の中に突き落とされた父親に、彼の信仰を目覚めさせ、神に信頼させる唯一の言葉だったに違いありません。父親の信仰は此処から始まったといえるでしょう。絶望の中でこそ信じつづけること。神をあくまで信頼しつづけること。その時に神の御業は起こるのです。
私は、信仰を持って間もない頃、熱心に教会の奉仕をしていました。自分は忠実に神様に仕えている、私ほど真面目に歩んでいるものはないと心の中で密かに自負をするほどになっていました。ところが、ある時自分ではにっちもさっちも行かないような問題が起こりました。自分の確信は砕かれ、自分ほど駄目な人間はないと思うほどに落ち込んだのです。苦闘の祈りの中で、私は自分を誇ることの愚かさを学びました。いつの間にか謙虚さをなくし、自分の行いを誇り、他人を裁いてしまっていた自分の愚かさに気づかされたのです。そしてそのことを通して、信仰とは自分の確信に生きるのではなく、神の恵みにより頼んで生きることなのだということを学びました。
真実なお方、忠実なお方、それはイエスキリスト以外おられません。そしてこのお方が私たちに、信じつづけることを教えていてくださるのです。どんな逆境の中でも、主は私たちに信頼しつづけることを求めておられます。不信に陥った時、不安になった時、弱った時、そのときこそ最も主がそばにおられることを覚えましょう。
(プレイバック週報2003年4月6日『牧師館』より 西田育生師)