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2018.04.08

「人の評価と神の評価」

 

ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。(使徒の働き5:29)

 

アメリカのメジャーリーグに渡った大谷翔平選手が大活躍しています。投手と打者の二刀流という鳴り物入りでのメジャーリーグデビューとということで、とても注目されていました。
開幕まだ二週間もたっていませんが、すでに投手として一勝を上げ、またバッターとしては三試合連続ホームランを打って好調をキープしています。
しかし、開幕前のオープン戦では振るわず、投手としても打者としてもメジャーでは無理なのではないか、マイナーリーグから始めた方がいいのではないかともささやかれてしました。しかし、彼はアメリカの野球環境に慣れている段階でしたし、そのような評価は意に介していませんでした。そしてうまく適応して、早々に結果を出しているのはさすがだと思います。
彼の適応力と野球に対するぶれない姿勢は私たちも大いに学ぶところがあるように思います。特に私たち日本人は人の評価を過剰に気にします。人がどう見ているか。人が自分をどう評価しているか。自分のことを人は何と言っているか気になるのです。その評価を聞きたくないと人との交わりを避けたりする場合も出てきます。
自分自身の評価の基準を周りが持っていて、それに自分が振り回されてしまうのです。もちろん、周りの評価を無視しろというわけではありません。周りの客観的な目は自分の立ち位置を理解するうえでは必要なことです。しかし、私たちの生き方まで左右されるようになると結局人生を振り回されてしまうことになるのです。
しかし同時に、自分をしっかり持て。と言われても中心軸がないと、どうしてよいかわからず不安です。生きる土台や確信がないと何をよりどころにしていいかわからないのです。
私たちは価値基準をどのようにして培い、揺るがない人生の柱を築けばよいでしょうか。それは神のみ言葉です。神のみ言葉こそ永遠に変わらない神の言葉であり、私たちの生きる指針であり土台です。み言葉の中に、神様のみ心がしるされており、神の評価の基準が明確に記されているのです。ですから、私たちの生きる基準はこの聖書の言葉に従って生きることです。
最初、慣れないと今までの生き方のように、人の声や評価に引きずられるかもしれません。しかし、毎日少しづつ、今までの生き方を主の前に手放しながら、神に聞き従う生き方をみ言葉によって身に着けていくようにするのです。
それが「神のみ声を聞いて生きる」ということなのです。よくある人は「神様が何と言っておられるかわからない」と言う人がいます。しかし神はすでに聖書を通して語っておられるのです。聖書を読んでいると、聖霊が私たちの心に語り掛けられ、み言葉に目が留まったり、どうすればよいかという内なる声が聞こえてくるのです。誰かに尋ねたり、いつも人にアドバイスを求める必要はありません。神様がみ言葉を通して語ってくださるみ声を聴くのです。
聖書を読み、その言葉を通して、神が私たちに語り掛けてくださっていることを聞く演習を毎日していきましょう。それは難しいものではなく、喜びであり、恵みです。聖書の恵みや約束をいっぱい見つけて、喜びと感謝をもって、主と共に歩んでまいりましょう。

 

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