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2024.03.31

「復活のイエスは生きておられる」

 

「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。」(ルカの福音書24:45-46)

 

今日はイエスキリストが死からよみがえられたことを覚える復活祭です。朝8時30分から所沢の教会霊園にて、早朝墓前礼拝をおこないました。多くの聖徒たちがその霊園には眠っておられます。文字通り眠っているという表現がふさわしいでしょう。なぜなら、イエスキリストが世の終わりに私たちを迎えるために再臨(再び来られる事)されたときに、キリストにあって先に死んだ聖徒たちがよみがえると約束されているからです。(Ⅰテサロニケ4:16-17)
イエス・キリストは聖徒たちの復活の先駆けとして2000年前、十字架の死の後、三日目によみがえられ、ご自分が復活されたことを弟子たちに示されました。ですから私たちの信仰とは、復活されたキリストと共に生きると言うことができるでしょう。
さて、あなたは復活のキリストに出会い、このお方と共に歩んでいるという確信があるでしょうか。聖書の教えにそうあるからとか、歴史的事実であるからとかいうのではなく、今キリストがよみがえられ、生きておられると言う
リアリティー(現実)を体験しているでしょうか。そのリアリティーに目覚めていった人たちがいました。
イエスが十字架につけられ三日目の朝の出来事でした。イエスに従って来た女たちは墓に納められたイエスの体に香料を塗ろうと墓にやってきたのです。すると墓の石は転がされ、中に安置されているはずのイエスの体が見当たらなかったのです。途方に暮れていると、まばゆい衣を着た人が二人(おそらくみ使い)彼女たちに近ずき彼女たちに声をかけるのでした。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。」その言葉に、女たちはイエス様の言葉を思い出したのでした。
イエス様は復活されもう墓にはおられないのに、女たちは墓の中にイエスの存在を捜していたのです。私たちも同様なことをしてはいないでしょうか。イエスがおられる場所を限定して、ここにイエス様はおられるべきだと思っていたり、教会に来ていればそこにイエス様がおられると思ったりするのです。確かに信じる者たちが集まるところに主はいてくださいます。(マタイ18:20)しかし、それは教会と言う場所におられるというのではなく、、信じる人たちと共におられると言う意味なのです。イエス様の名によって、信じる者たちが集まるところ、教会に限らず、家庭や小グループの集まり、あなたが祈るところ、どこにでも主はいてくださるのです。
あなたが探し求めるところにイエス様は果たしておられるだろうか。そのことを思いめぐらしましょう。イエス様はどこかに置かれてる置物ではないのです。死からよみがえり、今も生きておられるのです。特定の場所や時間の制限を超えてダイナミックに自由に動かれ働かれておられるのが復活のイエス様です。
女たちや弟子たちはイエス様は死んでしまったという固定概念でイエス様を探していました。しかし、復活のイエス様は墓の前で途方に暮れる女たちに、固く戸を閉ざしていた弟子たちに、復活を疑った弟子のトマスに、失望の中でエマオ町に向かっていたクレオパたちに、復活されたご自身を表わしてくださいました。復活のイエス様があなたにとってより現実的な存在として認識されますように、今日より、復活の信仰に目覚めていこうではありませんか。

 

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