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2024.03.10

「十字架を負う」  マタイの福音書16:21–27  西田育生牧師

 

私たちの人の評価を気にしがちです。今日の聖書箇所の前の所でイエスは弟子たちに、人々は自分のことを誰だと言っているかと尋ねられました。バプテスマのヨハネやエリヤ、エレミヤ、そして預言者の一人だと意見は千差万別です。続けて弟子たちは誰だと言うか逆に尋ねられました。私たちも今、同じく問われています。
シモン・ペテロは答えました。「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタ16:15)大正解です。キリスト教会はこの答の上に建てられています。皆さんはこの様に信じているでしょうか。そしてキリストはこれから自分はどう生きるかを語られました。「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(マタ16:21) と、十字架と復活について語られました。するとペテロはイエスをいさめ始めました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」(マタ16:22)ペテロの描いていたイエス像は、ローマの圧制から解放してくれる世俗的な救い主でしたので、イエスのこの言葉はショックでした。私たちも教会に熱心に通っているのに道が開けないとか、良いことが起こらないと失望し、自分に都合のいい信仰を描いてそれを本物だと錯覚しがちです。ペテロも神の国を描いていましたが、イエスに自分は十字架にかかると真逆のことを言われたのです。イエスはペテロに言われました。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタ16:23)十字架にかけられることについてイエスはゲッセマネで「どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」(マルコ14:36)と祈られました。ペテロに向かってサタンと言われたのは、ペテロ自身をさしたのでなく、自分の中にあるサタン、誘惑という思いを断ち切るためだったでしょう。
イエスは弟子たちに言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(マタ16:24-25)イエスに従うにはまず自分を捨てることです。それは感情に流されず、この世の価値観に流されず、キリストに対する誤った見方を捨てることです。握っている物を手離して神に捧げましょう。こだわりや固執している考えがあるならば手放して主に従いましょう。
そして、自分の十字架を負うとはどういうことでしょう。イエスは自分の罪ではなく罪人である私たちの為に身代わりとなり命を捧げてくださいました。私たちが負う十字架とは、あなたの周りの誰のために負っていけば良いかを考えてみましょう。捨てなければならないもの、負わなければいけないものを生活の中で適用していきましょう。良きサマリア人の話では祭司やレビ人は去っていきましたが当のサマリア人は傷ついた旅人を介抱しました。祭司やレビ人そしてサマリア人もそれぞれ予定があったでしょう。しかし、サマリア人は介抱して宿屋に運んで一晩付き添って宿屋の人に看病を頼んで代金を払って行きました。相当な時間とお金のロスです。確かに重荷を負うとは簡単なことではなく、チャレンジが必要です。しかしイエスは何と、自分の命を捧げられたのです。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタ7:13-14)十字架を負って向かう門はあなた一人ではなくイエスも共に居て共に負って下さいます。自分の願望をイエスに投影していく信仰ではなく、自分を捨て自分の十字架を背負って行くのです。自分の持つ古い執着を捨てると新しい物を握ることができます。自分の周りの人のためになるように時間をかけていきましょう。
私たちは試練困難が無いようにと願いますが、それを通して福音が前進するように祈りましょう。大きな十字架ではなく小さくても今の自分が負える十字架から始めてみましょう。その時神はみ業を現わして下さるのです。

 

≪分かち合いのために≫

  1. あなたにとって自分を捨てるとはどのような意味があるでしょうか。
  2. あなたにとって日々十字架を負う生き方とはどのような生き方でしょうか。

 今日の暗唱聖句

 

「それからイエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、 自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』」  (マタイの福音書 16章24節)

 

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