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2025.09.14

「妥協なき信仰」 ダニエル書 3章16-18節    井上圭 伝道師

 

この世で信仰に忠実に生きることは困難になって厳しさを増していきます。暗闇の力は様々な所に及び信仰者が誘惑され真の信仰から離れてしまうことも起こります。妥協のない信仰について考えましょう。
「ユダの王エホヤキム治世の第三年に、バビロンの王ネブガドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。」(ダニ1:1)ネブガドネツァルは神殿にあった宝物を持ち帰りイスラエルの人々を捕囚民として連れ去りました。その中に容姿が良く優秀な少年たちがバビロンの王に仕えるために連れてこられました。「…彼らのうちには、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。」(ダニ1:6-7) 彼らはバビロン名をつけられましたがこれはアイデンティティを奪われる屈辱的なことです。しかも彼らにこの世の価値観を植え付けて麻痺させバビロンの文化を刷り込ませようと考えていました。この世の価値観が私たちを信仰から離そうとします。「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」(Ⅰヨハ2:16)たった一度くらいなら、とアダムとエバが善悪の木の実を食べた結果、どれほど大きい刈り取りをすることになったことでしょう。
しかし、ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤは誘惑と戦いました。「ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。…」(ダニ1:8)この状況で妥協してもおかしくない中、彼らは身を汚さないと決断しました。小さな妥協は大きな妥協を生み出し、小さな従順は大きな従順の祝福を体験します。彼らは幼いころから信仰の教育を受け、周りの妥協なき信仰者の姿を見て学び、神のみに仕えることを決心したのでしょう。ダニエルたちは神の前に妥協なき信仰を選びました。神はそれを見て働かれました。ダニエルは野菜中心の食事で10日間過ごしましたが王の食事をした子どもたちより顔色が良く体も健康でした。信仰の戦いを妥協せず実践を通して学びました。この期間があったからこそ更に困難な状況にも力強く歩むことができました。私たちも妥協なき信仰者として主の前に立つための訓練の期間が必要です。「…敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来るべきいのちを約束する敬虔は、すべに有益です。」(Ⅰテモ4:7-8) 霊的な訓練を受けて修了証書を受け取ればいいのではありません。日々神の前に出て祈りましょう。毎日の小さい信仰の鍛錬を忠実に実践していくことで大きな祝福を体験できるのです。
彼らは更に困難な道を歩まされました。ネブカドネツァル王はバビロン中から人々を招集し、金の像を拝むようにさせました。しかしハナンヤ、ミシャエル、アザルヤは従いません。「…私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。…たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」(ダニ3:17-18)なんと大胆な信仰告白でしょう。若い彼らの決断は力強い信仰を示しました。彼ら3人は燃える炉の中に投げ込まれました。王が炉の中を覗くと1人多いではありませんか。彼らはその一人に救い出されたのです。驚くべき光景に王は妥協しない彼らの信仰を称賛し、彼らの仕える神こそが真の神だと告白したのです。「…シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神に対して不敬なことを口にする者はだれでも、八つ裂きにされ、その家はごみの山とされる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」(ダニ3:29) 
試練が訪れる時、誰が自分の主であり、本当に従っているかが明らかにされます。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」(黙2:10b)私たちもダニエルの様な妥協ない信仰者として力強く歩んでいきましょう。イエスは手を広げいのちの冠を授けることを待ち望まれています。

 

≪分かち合いのために≫

  1. ダニエルたちの妥協なき信仰を見て、どんなチャレンジを受けましたか? もし妥協せず変えようと今日決断されたことはありますか?
  2. 妥協なき信仰の証があれば、どんなことでも分かち合ってみてください。

 今日の暗唱聖句

 

「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」  (黙示録2章10節b)

 

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